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朝日新聞夕刊1日付紙面「南米で日系人口減少」の誤報が大きく載った
朝日新聞夕刊1日付紙面「南米で日系人口減少」の誤報が大きく載った

朝日新聞が本紙に謝罪=抗議受け、誤報認める=週明け、訂正記事掲載へ

 朝日新聞1日付け夕刊記事『悩める 邦字新聞』に対する本紙の抗議を受け、東京本社国際報道部の高野弦部長代理が電話とメールで謝罪、週明けに紙面で訂正記事を掲載すると約束した。この記事は、月間150万アクセスを誇るポ語サイト「IPCデジタル」でも翻訳、掲載されるなど(本紙抗議ですでに削除)、各方面に影響が及んでいる。記事掲載までの経緯、記事を書いたサンパウロ支局の田村剛記者の釈明は、本面『記者の目』で詳細する。

 4段見出し『苦境 南米で日系人口減少』は、明らかな間違いであり、南米全体の日系社会の衰退と読み取れる。かつ内容とは違うため、抗議に至ったわけだ。
 意図的なものではなく、移民、日系人、日系社会への無関心が誤報を生んだといえる。つまり、恣意的なイメージ操作だ。
 「現在も10紙以上の新聞が発行されている」とリードで触れつつ〃現在も〃の驚きは、終始、窮状のみが伝えられる救いのないものだ。アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの邦字紙を取材しているが、歴史や背景、購読者数、広告収入源も違う邦字紙を十把一絡げに捉え、ネガティブな見出しと写真で一面的な印象を与える。
 最後は、日本の自動車メーカー進出増加に伴い、メキシコで日本語フリーペーパーが発刊されるという話題で締めくくられ、両者を対比させる形で盛衰を強調している。
 国や規模は違えど他国で同胞が作り、読む新聞への温かみは非情といえるほどなく、経営悪化と書かれるイメージが日伯両国で、広告、購読に影響を与えるのではないかという同業者への配慮もない。こうした部分にも本紙は抗議した。
 高野部長代理は、内容には言及しなかったが、電話後「弊紙の記事で大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。遅くとも週明けには、見出しについての訂正記事を出稿致します」と本紙へ謝罪メールを送っている。
 なお、「東京に伝えた結果を5日午前中に必ず連絡する」と約束した田村記者からは、同日午後5時の段階で何の連絡もない。


■記者の目■海外同胞に温かい目線を=朝日新聞「誤報」の顛末

 今月1日、朝日新聞に掲載された『悩める 邦字新聞』の見出しと内容について翌日付の小紙のコラム欄『樹海』『大耳小耳』で批判した。
 記事を書いたサンパウロ特派員の田村剛記者が3日来社し、見出しの『苦境 南米で日系人口減少』は誤報だったと認めた。
 国際部の責任者から謝罪の電話とメールが4日にあり、紙面では来週には訂正記事が掲載され、サイト上でも修正されるようだ。誠意ある対応といえるだろう。
 だが、田村記者は謝罪せず、「自分の意図とは違う。誤解を解きたい」と約1時間釈明に徹した。
 「見出しをつけるのは整理部」と話し、「前文(リード)で『日本語が読める日系人口減少』と書いているので、いいと思った」という。
 だとしたら、見出しは何のためにあるのか。見出しは間違っていても、記事を読めば分かるというのは詭弁だし傲慢だろう。意味が全く違うではないか。
 デスクが文章を直し行数を決め、整理部が見出しをつける。そして印刷前の最終原稿(ゲラ)を記者がチェックする。3者いずれも、本文と異なる4段見出しにひっかからなかったという見事なプレー。日本人と日系人は違うという基本的知識の欠落と無関心。誰が読んでいるのかという読者目線の完全な欠如は、かの有名な「朝日体質」の象徴だろう。
 朝日新聞的には、どうでもいいことだろうが、小紙のアイデンティティとしては、譲れない部分であることもコロニア(日系社会)の皆さんも同意してくれると思う。
 我々は日本に対する日系社会の代弁者を自任している。日本語で書かれる日系社会に不利益と思われることは、声を大にしてきた。一方、日本のメディアのサポートも我が仕事のようにやってきた。移民の歴史、日系社会のことを「きちんと」日本に伝えてほしいからだ。今年だけでも4人の朝日新聞記者の取材に協力している。
 そして邦字紙の現況に関する記述だ。事実は事実だが、ネガティブな面だけを、これでもかというほどに取り上げる。これを「水に落ちた犬を叩く」というのだろう。
 犬があがいている、岸にたどり着けばいいが―というニュアンスは行間からも全くにじみ出ない。「事実を書いた」という田村氏に、知っていても書かない美学はない。
 邦字紙をテーマに選んだ理由は「存在を伝えたかったから」。お伝え頂いて恐縮至極だが、経営困難、部数減少を「悩める、苦境、廃刊、減少」見出しでしっかり増幅。未来のない哀れな姿を、移民読者が愛し焦がれ止まない祖国日本に、しっかりと伝えてくれた。
 月間150万のアクセスを誇るポ語サイト「IPCデジタル」が翻訳記事を配信した。本紙の抗議を受け削除されたが、マイナスイメージが広まったのは間違いない。田村記者の思いは、言語を超え、遂げられた。読者は日本人でも、購読料を支払うのはポ語世代。影響がでないことを祈るばかりだ。
 記事のルビ振り、ポ語書籍の出版、ブラジルニュースのサイト発信、日本での関連本の出版、写真展など提携紙との連携事業などの「あがき」を田村記者は知りつつ、一切触れなかった。日本から来た志のある青年らが編集部を支え、薄給ながらも休日を返上して駆け回っていることもだ。そのうえで、「らぷらた報知」の老事務員の写真と本紙のロゴを並べる。「それは整理部の仕事」(田村記者)だが、何の意図もないというのは嘘だ。
 新聞という媒体で勝負している以上、記事が全てだ。この記事から何を読み取れというのか。読者の想像力を期待するのは、「朝日俳壇」だけにしてほしい。
 田村記者いわく、記事は元々長いものだった。何が書かれていたかは知らないが、それをデスクがばっさり切ったようだ。見事、廃刊物語に仕上がった。奮闘物語では面白くないのだろう。
 だが、ほんのちょっぴり想像してほしい。邦字紙が抱える問題は、朝日新聞はもちろん世界中の新聞社が抱えている。我々は、新聞の近未来の姿といえる。それぞれが存続の不安を抱えながらも、購読紙ならではのジャーナリズムの重要さと新聞発行の意義を信じて紙面づくりに四苦八苦しているのではないか。だから、コラムに「温かさを感じない」と書いた。「そういう意図はない」なら、そのセリフは小紙にではなく、デスクと整理部にいうべきだった。
 一連の捏造問題後、紙面改革で以前より訂正記事に関しては、柔軟に対応するようになっているという。大変結構なことで、誠実に対応して頂いたと感謝申し上げる。
 田村記者からは、このやり取りを記事にしないでくれ、と言われた。だが、しっかり書く。なぜなら「事実だから」だ。彼がいう朝日新聞の購読者の〃実数〃700万部も事実なのだろう。
 「日系社会のことはこれからも取り上げていきたい。書けば紙面にも載る」という。頼もしく思いつつも驚いた。「書いても載らない」という歴代特派員諸氏のボヤキを知っているからだ。温かい眼差しを持った今後の健筆に期待したい。(剛)