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ニッケイ歌壇(503)=上妻博彦 選

      サントアンドレー   宮城あきら

大戦に焦土と化せる珊瑚の島辺野古の海に戦火まぼろし
轟音と砂塵巻き上ぐ演習地狂おしく搖れるさとうきび畑
沖縄はみるく世(ゆ)がやゆら慰霊の日礎(いしじ)にしみる青年の詩(うた)【弥勒(みろく)のことかも】
恒久の基地となるやも辺野古崎次代を想えば黙しおれなむ
幾万の怒りの拳天駈ける辺野古の海に基地はいらぬと

  「評」日本で唯一空爆艦砲地上戦と壮絶な戦が展開された県民でなければ書けない一連。「みろく」の光があまねく輝いてほしい。

   (注)第三首の「みるく世がやゆら」は沖縄語です。「今は平和の世でしょうか」と問いかけの語。去る6月23日の「沖縄慰霊の日」に朗読された高校生・知念捷君の詩の中の一節です。「礎」は「平和の礎」のことです。

      モンテ・カルメロ   興梠 太平

ニコニコとどなたですかと尋ねられ明日を思うひとり淋しく
ぼけ始め神が描いた人の道別れの辛さいやさんがため
移り来てしみじみ思う幸せは85年の東宮拝謁
マリンガでコーヒーの実を見たと言う今に残れる妃殿下の声
ふとも見た手相の線の複雑さ明日のわが身に闘志をわかす

  「評」現今言うところの「認知症」とは、どこの国の医学語か知らぬが、二首目全くもって、日本の古典医学を認知する表現と思う。三、四首の現実感が、闘志をわかすのかも知れない。

      サンパウロ      武田 知子

『伯栄庵』は、サンパウロのブラジル日本文化福祉協会のビル4階に作られた、裏千家茶道布教の中心的教場として、半世紀以上の歴史を有する屈指の茶室。『初釜』や『宗旦忌』など、裏千家の大きなイベントがこの茶室で開催される。

『伯栄庵』は、サンパウロのブラジル日本文化福祉協会のビル4階に作られた、裏千家茶道布教の中心的教場として、半世紀以上の歴史を有する屈指の茶室。
『初釜』や『宗旦忌』など、裏千家の大きなイベントがこの茶室で開催される。

家元ゆ新代表の派遣とて茶道の普及多岐にわたれば
伯栄庵せましとばかり参加せる和服はなやぐ絹ずれのして
お茶席に供する菓子も家元に学び帰伯のブラジル娘
宗旦忌偲ぶ茶会の進むうち懐石供す汗たりながら
茶懐石日本さながら今日一と日堪能せしと客笑顔にて

  「評」畳文化の日本人は日常の生活から畳を離れ立礼になって久しくなれば、足腰に不自由を感じる様になる。茶道はその最たる習いごと、その指導普及に当たる立場をつくづく思わせる四首目。そして一日了えて後の思いが伝わる作品。

      モンテ・カルメロ   興梠 太平

みな人が思い描くあの世とは傘寿過ぎれば間近くなりぬ
いつの日かこの肉体は土となり魂不滅と人は言うけど
懐かしい知人の待てるあの世かと思いはつのり嬉しくもあり
年も暮れわが身も夕ぐれ今宵見る十三夜の月美しきかな
気にしないスカイプ電話の合い言葉生に感謝し南無阿弥陀仏

  「評」生み産れ、循環する生命の法則。祖先を偲び子孫を見守る、日向人のおだやかな身魂が南無阿弥陀仏として伝わる。

      ボツカツ       長田 郁子

嫁の味わが味並ぶ食卓はいつも賑やか孫いる暮らし
エプロンで涙汗ふきまた明日と気張り来し日々今は昔に
大輪の白き花咲く月下美人ひっそりと咲きひそりすぼむ
盆栽の花木しおれて水欲しとわれを待つなり昨日も今日も
降る雨に気負いしげりし雑草に負けじと伸びるドクダミを摘む

  「評」日常の行為を歯切れよく、リズミカルに韻律に乗せ表現する旨さが、この作者の持ち味となっている。折角つづけてほしい。

      サンパウロ      武田 知子

束の間の淡き繋がり濃き中味伯栄庵を友の去り行く
例え事〝マカコベーリョ〟と吾が事か行きつ戻りつ帛紗捌きて
足弱く畳に立ち居出来ぬ今伯栄庵に昔しのびつ
帰日せる友を吾家の茶室にて別れの茶会今はなつかし
忘年会送別会も兼ね集ふ二十八階御馳走のうち

  「評」日本文化を伝授しつづける、指導者の自覚を持ち、膝進起居の不自由の今、畳の上を滑らかに動いた頃を偲びながら。帛紗をさばくのである。

      カンベ        湯山  洋

気付かずに時は流れて早師走吾も人生の師走を走る
老いるほど人生列車は急ぎ行くあの世はどんなに遠いのだろう
親爺より長生きしたと言った父その父の歳吾も越えたり
人生の儚さに気付く歳となり短気になったり暢気にもなる
坊さんの「色即是空」と云う言葉今頃やっと判った気がする

  「評」人生の師走に立ちある時は、怒りある時は暢気に、すでに父の言った言葉それを更に越して生きている自分を思う時、「是空」であるとつくづく考える作者。

      バウルー       小坂 正光

日本一の好評を得る島根県の足立美術館は生家に近し
足立家の一人息子と六歳の吾終日(ひねもす)を屋敷の庭で遊べり
大阪にて足立全康氏財をなし故郷に美術館の創設を成す
安来(やすぎ)駅降りて二十キロ、広瀬街の近くに足立美術館は存り
広大な敷地に美術館を創りたる足立氏故郷、出雲の誇り

 「評」連れられて来た幼少年移民達、自分の記憶にある一木一草をあたため続けて生きて来た。ましては、生家に隣する資産家の一人息子の記憶。人生の岐路に立った二人、片や異国の広野に佇ち、片や、出雲の誇りをと思いいるのである。

      サンパウロ      相部 聖花

日本館大和の建築技術もて守られてゆく心盡(つ)くして
移り住み40年を経し今も暑き師走は未だなじまず
並べたる書籍読まねど処理するは心すすまず生ける限りは
銀行も業務停止し来る客は追い帰さるるセンエネルジア
黄に白に紫の菊競い咲き花に向かへば心は晴るる

  「評」一首を産み成すひたすらな愛着が感じられる。いよいよ本格的な夏が驟雨を降らす様になった。花に向かう作者の気持ちがひと息に詠みくだされていて心地よく伝わる。

      サンパウロ      水野 昌之

低賃金で食うや食わずのコロノ経て強くなりたる戦前移民
働けど喰えぬ耕地に見切り付け夜逃げ重ねし記憶は消えず
このあたり開拓村があったはず移住時代の分厚い時間
開拓地の連帯担う日本人会寺子屋式の日語に励む
旧移民の別称「老猿」その意味は狡猾・無責任・されど親切

  「評」三首目の「分厚い時間」少年時代の移民達の記憶に深く刻み付けられて、人格形成の歴史となっていったのだ。別称「マカコ・ベーリョ」とは、思い返しながらも、同胞達への、親切心は浸々と充ちていたのだ。

      サンパウロ      坂上美代栄

移民には選挙権なく祖税あり口出しならぬ移民大国
祖国には税払わずに選挙権ありしも何か異様な感じ
海外の吾らがなぜに選挙する国内投票六十パーセント
先達の何かが違う短歌に会う、年期だけではすませぬ何か
草花を育てるように感性は育たぬも吾、諦めもせず

  「評」全くその通りなのだ。移民受入れ国と、送出国の違いと言うことだろうが、国籍の問題もかかわっての事だし、又、投票はいづれも自由意志。そんな事も日頃考えないことを考えさせてくれる作品だ。

      グワルーリョス    長井エミ子

老女等の囲戸端会議時知らず服用薬の多きを自慢
わからないわからないから夫(つま)膨れ宵闇今だ訪れ知らぬ
仏にも鬼の顔にも変わる医者呼び出しを待つ椅子のかたさよ
新知識仕入れて困らす汝(なれ)のおり妻忙しく初(はつ)夏の暮れ
物忘れ多くなりたる汝(なれ)と吾(あ)れ山家ミンミン蝉鳴き降りて

  「評」宵闇は時に好都合なものでもある。又、仏とも鬼ともつかぬ医者ながら、尻のしびれるまで待つのだよな。山家に鳴く蝉の声は真から忘れさせてくれる。禅宗の行も斯くならんやと。

謹賀新年

 新しい年も皆様方共々に精進致して参りたく、宜しくお願い致します。
 沢山の賀状いただき有難うございました。益々の御健勝をお祈り申し上げます。
 紙上をもって年賀に代えさせて頂きます。
二〇一六年 元旦   上妻博彦
  (二〇一五年はこの稿をもって締めさせていただきます)