タウバテ日伯文化協会(漆畑哲雄オスカル会長、会員150世帯)は『創立70周年記念式典』を、10月22日に同会会館で開催した。式典に併せ、会館建設にあたって多額の寄付を寄せた故・和田宗久さんを顕彰し、「和田宗久文化教育センター」の記念プレート除幕式も行われ、260人が節目の年を祝った。
「終戦直後の1945年、荒廃した祖国の窮状を知り、日本で暮らす家族や祖国再建の為に、救援物資支援を始めたのが、文化協会発足のきっかけだった」――挨拶に立った漆畑会長は歴史を振返り、先人に対し深甚なる謝意を滲ませた。
移民がブラジルに根を張って、子女に対する日本語教育及び日本文化の伝承への強い意識が萌芽すると、新会館建設が求められるようになった。
78年、小田二三男さんから6千平米の土地の寄贈を受け、81年から会館建設を開始。ところが突風で屋根が飛ばされる被害に見舞われた。
だが実業家である和田宗久さんの多額の寄付を受け、建設は再開。創立50周年を迎えた97年に別館を備え、現在の会館が落成した。
式典では、会館建設に貢献した小田二三男さん、和田宗久さん、元会長の神保享さん、田尻清隆さんや、木原義一アルマンド(元陸軍大佐)さん、秀子・ノゲイラ・カマルゴさんに功労者表彰が授与されたほか、高齢者表彰が行なわれた。
代理で受賞した和田文子さんは「文協の資産は単なる物質的財産ではなく、世代に跨る努力と汗の結晶だ」と語った。
本紙取材に対し、55年渡伯で70年頃に同地に入った田尻清隆元会長は「当時は昔の気骨のある矍鑠とした人ばかりだった」と往時を語る。田村電機製作所の支社長として赴任し、その後、起業して永住に転じた和田さんについて「日系社会の活動に熱心で、日本精神の継承に対して並々ならぬ熱い思いを持っていた」と言う。
そんな和田さんの寄付を受け、別館内に日本語学校が新設。現在は50人ほどの生徒を抱える。田尻さんも「和田さんの理想も実現されたのでは。文協には優秀な二世の人材が揃っている。本当に頼もしい限り」と語った。
東北を中心とした製造業の同地への進出などにより、地方都市にしては珍しく30人規模の工業移住者が一時は住み着いた。工業移住者協会タウバテ支部で会長を務めた安藤光明さん(76、秋田県)は「80年代後半、日伯文化協会への名称変更を機に、別々に活動していた工業移住者も日系社会の活動に加わった」と振り返る。
80年代からのハイパーインフレによる企業撤退を受け、工業移民の多くは出聖。現在同地に残るのはごく僅かという。だが民謡や三味線を指導する海藤司さんなど地域の日本文化普及に貢献している人もいる。
式典を終えて、漆畑会長は「一世の方々のお陰でこうして守られ続けてきた。会館自体もその努力の賜物。日本の古き良き価値観を残していけるよう、力を合わせ盛り上げていきたい」と今後を見据えた。