田中慎二さんの新しい書籍「アンデスの風」が出版された。
これは絵画と文章とが同居したスタイルを持つ、ユニークな本である。今まで田中さんは「移民画家・半田知雄・その生涯」と「ブラジル日系美術史」などを執筆されてきたが、いずれもブラジル日系社会において、非常に重要な位置を占める労作である。
それらは、戦前から戦後にかけての、ブラジル日本移民の足跡を辿る記録であると同時に、海外における日本人の、主として美術界を軸とした生き様を、ブラジルの近代史を背景にして描写された貴重な作品群でもある。
その田中さんが今度は、ご自身の体験と作品に基づいた珍しい画文集を出された。ここには、すべて田中さん自身が物された画集、文集が並ぶが、それは単に個人的な、感傷的なものにとらわれず、言ってみれば海外移住者の目から見た歴史感、あるいは記録の一つのリンクを表す貴重なものでもある。
ボリビアからブラジルへと通じる移住生活の中から生まれて来た、芸術性の香り高い絵画や、旅行記にも繋がるスケッチ風の作品。古代文明への憧憬、ブラジルの歴史や風俗に思いを馳せる風物詩的な絵画。日系社会の歴史を想起させるイラスト、装丁、戯画、漫画、さらにはそれらを繋ぐエッセイなど、様々な形を持った多彩な作品が、この本には満載されている。
これは田中さん個人の歴史であると同時にまた、海外に飛び出して、その生き様を確立して行った一日本人移民の歴史の一端を、気負うことなく淡々と表現された記録でもある。その表現の形が、絵画と文章によるものであるところに、この画文集のユニークさがあり、また田中さんの多才ぶりが余すところなく発揮されているところでもある。
このようなスタイルと内容を持った本は、今までのブラジル日系社会での出版物では初めてのものであり、それは誠に稀有な存在といっていい。
ご存知のように田中慎二さんは、画家、イラストレーター、編集者、装丁、文筆家など、様々な方面で活躍されて来た方だが、いわゆる裏方の仕事に徹したところを持つ人でもあり、その生き方自体にも世間一般の規格からは、やや離れた位置に立つことを好まれる人でもある。
そんなお人柄が、この「アンデスの風」の画文集にも遺憾なく発揮されていて、そこには、ほのぼのとした雰囲気の中にも、その内面にある厳しさや、移民としての生き様を感じさせる、ブレない確かなものが秘められていると言えよう。
この画文集のページを繰って行くと、いつの間にか形而上の世界に誘い込まれて行くような、そんな不思議な感覚を味わえる雰囲気が、この本にはある。
ここに展開するのは、田中さんの目を通して繰り広げられる、純粋で透明感溢れる世界でもある。慌ただしい世相の現代において、このような本を手に取ることができるのは、ある意味でかなりの贅沢とさえ言えるのではないだろうか。
是非、一覧そして一読をお勧めしたい貴重な本である。《※関心のある人はサンパウロ人文科学研究所(文協ビル3階、電話11・3277・8616。午後のみ)まで連絡を》