安慶名栄子著『篤成』
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安慶名栄子著『篤成』(45)
その頃になると、私はもはや父が苦しんだり、痛みを感じたりしないようにと願うばかりでした。父は特に宮本武蔵のビデオを見るのが好きでした。私は一緒にビデオを見ながら機会ある毎に漢字の読み方や意味を聞いた
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安慶名栄子著『篤成』(44)
すると、彼女の反応にはショックでした。「ああ、そう。母は私を育てずに他人の子供を育てたのね」と。 彼女は母親に対して深い反抗心を持っていたと感じました。どんなにつらい思いをしておばあちゃんは私たち
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安慶名栄子著『篤成』(44)
すると、彼女の反応にはショックでした。「ああ、そう。母は私を育てずに他人の子供を育てたのね」と。 彼女は母親に対して深い反抗心を持っていたと感じました。どんなにつらい思いをしておばあちゃんは私たち
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安慶名栄子著『篤成』(43)
第32章 夢のパンタナール 姉のよし子が一緒に旅行してくれることが父の一つの要望でした。父は、「自分はもう年寄りで、もしもの事があったら、栄子が一人で介護をするのは気の毒だ」と思っていたのです。
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安慶名栄子著『篤成』(42)
第30章 久米島 父の姪の結婚式に招待され、私たちは再度沖縄を訪問しました。父の甥や姪たちは父を楽しませるために何をしていいのか迷うくらい色々ともてなしをして下さいました。 その機会には、美味し
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安慶名栄子著『篤成』(41)
いつも仕事に追われ、雑誌や新聞はおろか、本も読まなかったので、物知らずな私は、「クスコ? クスコってどこにあるの?」と聞きました。「ペルーだよ。マチュピチュと同じところだよ」と父は直ぐに答えました。
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安慶名栄子著『篤成』(40)
クリチーバでは、父は本当に物知りだという事を思い知らされました。その歴史を探るために町巡りをしたかったからです。パラナグァーの電車に乗った時に父は、その線路の開通式の初運行には、安全確認のためエンジ
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安慶名栄子著『篤成』(39)
父の親友が亡くなった後も、私たちはよくバウルーまで行って新垣さんのご家族の皆さんを訪ねて親しく付き合いました。さまざまな時代の様々なきっかけにより、バウルーという町はとても親密な場所になりました。
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安慶名栄子著『篤成』(38)
するとパイロットは着陸する前に首都の上を一周して下さいました。上から見るブラジリアの眺めは誠に見事でした。世界に名の通る建築家ニーマイヤーの建築物を父の側で空から眺められた経験は生涯忘れません。
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安慶名栄子著『篤成』(37)
大田司令官はほかの将校たちと海軍壕の中で自決しましたが、その日の数日前に、沖縄県民の悲惨な状況を見過ごせないとして、「沖縄県 民斯く戦えり、後世に特別のご高配を賜らんことを」と苦しんでいる県民への後