樹海

 いよいよ二十一世紀を迎える。過ぎた百年は戦争の世紀と評されるが、共産革命による旧ソ連誕生と東西対立の歴史に彩られもした。今、現在もアジア、アフリカや中東の国と地域では紛争が絶えないのだが、少なくとも世界規模の大戦に発展することはなかろう。それが、歴史に学ぶ姿勢でもあり、現実の問題として核兵器は、使ってはならないしー使えない。軍事力が将来的にも重要な意味を持つのは避けられないが、趨勢としては「対話」による政治的な解決に進むだろうことは間違いない。こうした枠組みを考えれば、二十一世紀は「平和指向」という新しい課題を背負った時代かと思う。究極の願いはこの地球から戦いを無くすことだが、もっと身近なものとしては日系社会の行く末がある。百年という長い期間でどうなるかを見るのは極めて難しい。年老いた一世移民の長老であっても今日の「出稼ぎ」を予想した人はいないし、後続移民の途絶を予測できた人もいない。周知のように日本からの戦後移民のピークは五十年代の後半から六十年代に掛けてであり以後は急減する。ブラジル側の事情が変わったのも大きいけれども、多くの理由は神武以来とされた日本の好景気にある。振り返ると、日本が豊かさを実感できるようになったのは東京オリンピックの頃からではないか。いやもうちょっと遅れて七十年代かもしれない。これほどの急激な発展と高度成長を予見できた人も少ないはずである。二十一世紀の経済も工業も物凄い速さで変わり進むに違いない。だが、近未来的にこの国を目指す日本移民が急増するの見通しは立たない。多分、従来型の移民の時代は終わったと見ていいのではないか。当然ながら日系社会も三世や四世から五世の人たちが中心にならざるをえない。そのときにどんな性格の日系コロニアになっているのかーである。ブラジルは多民族国家だが、核であり主流は欧州文化である。ここに日本移民の子弟である日系人の生きる道があるのではないか。広くとらえれば日本文化も東洋文化圏に属するのだが、少し乱暴に言えばー東西文化は異質なものである。ブラジルをそうした東西文化の接点として認識できれば、そこから新しい文化を創造できる可能性を秘めている。日本には能や文楽。華道や茶道といった高度に洗練された文化が多くあるけれどもこれらの根底にあるのは仏教などの宗教的なものであり、古来からの自然観である。多くの日本人は「足るを知る」を大切にする。森の樹木でも必要以上には伐採しない。林や原っぱとの共生の考え方が日本に支配的な自然観と言っていい。これ一つでも西洋流と異なる。こんな対立を超えて両方の文化を止揚しての「ブラジル文化」を生むことができればすばらしい。四世や五世の人たちが、日本語を理解できれば理想だが、必ずしも絶対条件ではない。英文にも仏文に参考書はあるし意欲があれば研究はできる。そんな知的闘争心に満ちた日系社会の未来像を夢見ている。 (遯)