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馬の話=ニッケイ俳壇選者=星野瞳

 日本海外移住家族連合会が、サンパウロ県連を窓口として、移住して五十年以上になり、一度も訪日しなかった者達を募集して訪日させる、その第二十一次訪問団二十五名の団長として先年、訪日した。
 その第一日に、外務大臣表敬訪問があり、外務領事移住部長主催の歓迎会に全員出席した。宇野宗佑外務大臣は旅行中で、黒河内久美領事移住部長が代行された。後、外務省五階のレセプションホールで歓迎昼餐会が催された。
 メンテーブルに、黒河内部長、平松首席事務官、川村知也国際協力事業団理事、田中竜夫衆議院議員と団長の私、副団長のリンスの今田ドクター未亡人のキクノ夫人が坐った。
 次々とご馳走が運ばれて来て、大皿に盛られた紅色美しい刺身があった。
 黒河内さんは「星野さんさあどうぞ、馬刺です。おいしいですよ」とすすめられた。日本では馬肉を桜肉と云って食べるとは、聞いてはいたが、こうした席でも出されると云うことは、全く意外であった。馬肉などは、ブラジルでは、トカゲ、タツー、鈴蛇などのたぐいの物だと思っていた。 黒河内さんは、まだ若い美しい人であった。紅い美しい唇に、紅い刺身をしきりに運んで居られた。
 黒河内さんは、再び「どうぞ星野さん、仲々おいしい物ですよ」と云われて、「はい、いただきます」とは云っても、どうしても箸をつける気にはならなかった。黒河内さんの表情にちらっと陰が浮かんだ様に思えた。黒河内さんに、ブラジルでは馬肉は食べない習慣だと、お詑びしようかと思ったが、食事中のマナーではないと思って止めた。が、そのことはブラジルに戻っても心に残った。
 黒河内さんに、捨て馬のことなども話して、馬肉は食べない習慣を教えて上げたいと思い。手紙を外務省宛に出した。
 「ブラジルでは鋤を引かせたり、作物を運ぶ車を引かせたり、乗ったりする飼い馬が老いて来ると、野に放して、自由にしてやります。俗に「捨て馬」と呼んでいます。馬は永年居た処を思い出して戻って来ますが、もう牧には入れてもらえないので、出て行って、捨て馬同士で群を作ったりして野や林の中に居ますが、年老いた馬なので、いつしか死んで行くのです。
 私に、捨て馬を詠んだ俳句があります。

 戻り来し捨て馬に汲む若井水

 元日に、家が捨て馬にした牝馬ハナが戻って来ました。母は子供が戻って来た様だと云って、井戸水から若水を汲んで飲ませてやりました。

 捨て馬の子等と遊べる春野かな

 子供達は馬の腹の下をくぐったり、尻尾を引っ張ったり、背に乗っかったりすると、馬は目を細めていました。

 友連れて捨て馬戻り来し月夜

 秋の名月を皆で庭に出て見ていると、三頭の馬が垣外に来ました。母がハナが来たと垣根に近づくと、ハナが鼻を鳴らして寄って来ました。月見だんごを食べさすと、うなづく様にしていました。

 霖の夜の牧扉を捨て馬蹴る音ぞ

 ブラジルの冬は霖も降ります。夜、牧扉を叩く音がするので、窓を開けると、馬が牧扉を前脚で蹴っているのでした。母が、ハナが戻って来たのだ。寒いので馬小屋に入りたいのだ。可哀想になぁ、と涙ぐんでいました。

 捨て馬にもある老いらくの春の恋

 ある日春の野に、馬が四、五頭群れているのを見ました。中の一頭が、他の馬に首をこすりつけていました、何かを語りたいとかとしているのでは、と思い、人の世にある老いらくの恋が、馬達にもあるのだと思いました。捨て馬達は何か楽しそうに見えました。
 捨て馬を余り見かけない様になりました。噂に、ある日本の商社が、捨て馬を拾い集めて、馬肉を日本へ送っているのだ又、イギリスの商社が、犬の餌にするのに捨て馬を集めているのだと云うのでした。
 ハナも日本かイギリスへ行ってしまったのか、もう戻って来なくなりました。 こんな事を書いて、あの日は折角のご馳走の馬刺に箸をつけなかったお詑をします、と書いた。
 黒河内久美さんは、初めて外務省出、そして日本で三人目の女性大使に任命されて、北欧のフィンランドへ赴任された、と新聞で見たのは、次の年の七月頃だったかと思う。それを読むと、あの美しい紅い唇に紅い馬刺を含んで居られた黒河内さんをなつかしく思い浮かべた。フィンランドでも馬肉は食べないと聞くが。