2003年1月1日(水)
常に率直な態度で人の意見に耳を傾けようとする真摯な人柄に、インタビューの間中、感じ入った。高裁判事を経てサンパウロ大学で民事訴訟法の教鞭をとる法曹界のエリートといえば、例えば日本人なら、言葉を飾って高々と構えたいところだろう。
渡辺さんは、そうした虚飾とは無縁のタイプであるらしく、受け答えも直截的で持って回ったような修辞法はとらない。そのあたりはさすが裁判官というべきか、あるいは記者の一方的事情から取材を日本語で行ったことによる語彙の制限であったか、さらにいえば、戦前に生まれた一部の二世に共通する生真面目な性格によるものかもしれない。
サンパウロ州高等裁判事に就任して五年後、いよいよ州法曹界の頂点を極めようという五十代前半で渡辺さんはあっさり退官している。「裁判所は難しいところで」と言葉を濁したが、上級判事となるにしたがって”政治的判決”を下さなければならぬ状況に遭遇しやすかったからではないかと、一部では憶測されている。渡辺さんの清廉な性格が、あるいは退官を早めたのかもしれない。
その渡辺さんが文協の改革準備に手を染めた。ということは、次期文協会長の座からは距離を置いた、と推察できる。仮に会長に就いたら、これまでの奔走が個人的意図もあったと誤解されかねないからだ。このあたりについては渡辺さん自身よく心得ているようで、早くも周囲から嘱望されているが、そのいちいちに固辞する態度をとっているそうだ。
各界ですでに盛名を馳せている二世指導者は少なくない。これからの文協は彼ら指導者群をまとめてゆく、一頭地を抜いた指導者こそが求められるが、渡辺さんはそのあたりにもよく押さえのきく人物だと評されている。であれば、この人に改革準備委の統括責任を押しつけたのは、文協にとって早計にすぎたのではなかったか。