新年号に「日本人画家たちが残すもの」の拙文を書いた。そこでも取り上げたが、彼らの筆がよく描いたものはやはり、「町の衰退した地点」にあったと思う。時代遅れとなりつつあった娯楽風景もその対象となった。
高岡由也が「闘鶏」を、玉木勇治が「シルコ」を描いたのは四七年のことだ。当時、サンパウロ市は人口百五十万以上を抱える南米一の大都会に成長。一九〇〇年の人口は二十四万弱だから、都市化の波に街は様変わりを迫られていた。
それでもまだ、闘鶏やサーカスを開く空き地はあった。が、いまはもう見当たらない―。
二八年に始まった「シルコ・ガルシア」が歴史の幕を閉じたという。その嘆きの一つは「適当な空き地が市内にない」ことだった。二十五日、サンパウロ市は昔日の香るほのかな夢のともし火をまた一つ消して、四百四十九歳を迎える。 (大)
03/01/14