1月17日(金)
「すごく優しくて誠実なおじいちゃんでした。いつかおじいちゃんを越える人間になれるよう、がんばります」――。ソロカバナ一帯で数々の功績を残した故・山本繁樹さんの孫、益田祐次くん(一三)は、十五日午後三時からサンパウロ総領事館で行われた死亡叙勲伝達式で遺族を代表して謝辞を述べ、おじいちゃんの功績をたたえつつ自らをいましめた。多大なる地域社会発展への貢献が評価され、死後叙勲ながら、故・山本さんには日本政府から勲五等瑞宝章が贈られた。
昨年九月十五日に六十九歳で病気により亡くなった山本さんは、熊本県出身の両親からアルヴァレス・マシャードで生まれ、性格温厚、誠実で良識を備え、責任感にあふれた人格者であった。
三人姉弟だったが、日本からの航海中に一人が死亡。日語教育が禁止されていた戦時中、姉の松代さんと競うようにして、隠れながら日本語を学んだ。小さい時から親と共に商業に従事していたため、四十歳になってから大学法科に入学し、苦学しながら弁護士資格をとった。
松代さん(七七)は「父は戦争に勝ったら日本に引き上げようと考えていたので、子どもの頃はブラジル学校に行きませんでした。でも、戦後、商売をやるなかで、やっぱりポルトガル語、特に法律知識が必要だと思い直して、弟は学校へ行ったんです」と回想する。
スーペラチーヴォに入学して一年間で中学・高校課程を修了し、大学予備校に半年間通って、見事、法科入学試験に合格。四年間で卒業し、弁護士試験にも通った。「いつのまにか、私以上に日本語の方も上手になっていました」と姉は弟の努力をたたえる。
その一方、市議にも当選し、法務委員長を務めるかたわら、セアザの開設に心血を注いだ。この創設により、同地方で農業を営む多くの日系人が生産物の流通の面で恩恵をこうむったばかりでなく、広く低所得者層にも職業を提供することになったので、地元では幅広く尊敬を集めている。
日系社会においても地元プレジデンテ・プルデンテ農村文化体育協会や汎ソロカバナ日伯連合文化協会などの会長を長い間つとめるなど、人望が厚いことで知られていた。
また、最近ではデカセギ問題解決のためにサンパウロ市に設置された国外就労者情報援護センター(CIATE)のプレジデンテ・プルデンテ支部開設にあたっても奔走した。
叙勲伝達式では遺族を代表して、妻・房枝さん(七〇)と、息子・ミウトンさん(四四)に、赤阪清隆総領事から賞状と勲章が手渡された。「人生の模範として、父のことを改めて誇りに思います。勲章をいただいて、家族ともども喜びでいっぱいです」とミウトンさんは亡き父の遺影を手に語った。
サンパウロ市に住む孫・祐次くんは「おじいちゃんから五目並べを教わったことが忘れられません。最初は二十戦二十敗でした。悔しくて悔しくて、おじいちゃんが寝ている間に猛特訓し、次の日、やっと一勝できました。〃やればできる〃と言ってくれ、うれしくて、もっともっと練習しました」と流暢な日本語で説明する。
出席していた岩崎秀雄文協会長は「お孫さんの挨拶一つとっても、いかに立派な教育をしていた人だったかが分かる」と語った。
規定により叙勲対象は七十歳以上のため、山本さんは死後叙勲となった。伝達式にはプ・プルデンテをはじめ、アシス、アルヴァレス・マッシャードなどから親戚・友人ら約十五人が参加した。