2月7日(金)
「『書道はどうして芸術なんだ』とブラジル人に聞かれたことがあります。『決まった形の字を書くだけでしょう』とね」。書道指導者の渡辺少南さんは断言する。ブラジル人にとって、字を書くということは「カリグラフィーア(手本通りに書くこと)です」と。
先の質問は、「日本では聞いたことがない」という。書くことはカリグラフィーア以上の何かだということが、日本では暗黙のうちに諒解されている。だから「文字を書くことがどうして芸術なのか」と聞く人はいない。逆にブラジルでは、文字を自己表現として見る考え方はなかった。だからこそ、漢字が入ったTシャツが新鮮で、売れる。字を書くことに芸術の要素はない、という非日系ブラジル人の先入観が、漢字Tシャツが日系コロニアを越えて広まっている本質的な理由なのかもしれない。
漢字グッズが売れる近年は、書道の普及にとってチャンスではないだろうか。
それに答えて、まず渡辺さんは書道と習字の違いを指摘した。「お習字では、手本があり、その手本の通りに正確に書くことが要求される。これはカリグラフィーアです」と説明する。それに対して書道は、「線を使った芸術」だという。手本通りに書く技術は、言わば表現力。「基礎がないと、書道も難しい」と話す。
従って、ブラジル人の間に書道を普及させるのはかなり難しい。その基礎となる「手本通りに書く」ことすら、学校ではほとんど教育されないからだ。
九三年、第一回国際高校生選抜書展が開かれるに当たって「日本語の作品は送れない」と日本側に訴えたのも、これが理由。「出品するのに、まず日本語を覚えなきゃいけない。しかも、芸術教育もろくに受けていないブラジルの子供には、普通の書道は無理だ」と主張した。
そこで、ブラジル人が書き慣れたアルファベットで出展することにした。それ以来毎年アルファベットの作品を送っている。今ではロシア語、タイ語などの出展も見かけるようになった。
それでも、「一世がいなくなると、しぼんでしまうんですよね。スポンサーでもつかないと進んでは行かない」。ブラジルの書道の行く末を案じる。「形が変わったものになっても、ブラジル人が引き継いでくれれば」と願っている。
アルファベット書道を習っている生徒達は、ブラジルと日本の狭間で書道を受け継ぎ得る期待の星。しかし、「アルファベットを続けたいか」と聞くと、意外にも「日本語の漢字を習いたい」と言う人が多いという。
九三年、アルファベット書道の考案。九〇年代終わりからは、間違った字や中国風の字を含む、漢字グッズの流行。コロニアを越えた日本文化がブラジルに吸収されるその瞬間が、今ここにある。様々に変化を続けるこれらの現象は、ブラジルに対して「字による自己表現」の可能性を提示し、その文字観を変えようとしている―と考えるのは大袈裟だろうか。(渡辺文隆記者、この項終わり)
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