ホーム | 連載 | 2003年 | 越境する日本文化 ボーイスカウト | 越境する日本文化 ボーイスカウト(5)=日系隊を支える親たち=国際舞台ではブラジル代表

越境する日本文化 ボーイスカウト(5)=日系隊を支える親たち=国際舞台ではブラジル代表

2月15日(土)

 現在、サンパウロ市にある約八十隊のボーイスカウト隊(州では約三百隊)のうち、日系のボーイスカウト隊は七隊を数える。
 東のカラムルー、南のコチア(コーペル・コチア)と呼ばれた二大ボーイスカウト隊、ファルコン・ペレグリーノ、本願寺、ドゥッケ・デ・カシアス、北海道協会である。
 日系ボーイスカウトの定義は創立者が日本人、または日系人であり、その構成メンバーを多数の日系人が占めるということが挙げられるであろう。
 サンパウロ・スカウト連合会の川上・トシオ会長は「他の隊と比較して、日系スカウト隊は結束が強く、活発で大きな隊に育っていることは事実」と話す。
 ブラジル全体のスカウト約六万人のうち日系スカウトは約三千人、つまり全体の五パーセントに過ぎないが一つの隊の規模が大きく、活動内容が幅広いことは川上会長も認めるところである。
 ブラジル連盟に加盟している以上、日系隊と一般ボーイスカウト隊の間にシステムや運営上の大きな差異は認められない。
 あえてその違いを指摘するならばーと前置きしてカラムルー隊のジュリオ・クルス隊長は「父兄の認識が大きく関わっている」と話す。
 カラムルー隊の運営には父兄会主催のバザーや様々な経済的支援が大きな役目を果たしており、非日系であるジュリオ隊長は「教育に対する日系人の意識の高さは一般ブラジル人の比ではない」と続ける。
 川上会長は四年毎にある世界ジャンボリーへの参加も日系スカウトが高い比率を占めることを指摘し、「親が計画的にその準備を行っている」と説明する。
 二〇〇二年タイの首都バンコック郊外サタヒッピで第二十回世界ジャンボリーが開催された。ブラジルからの派遣団は総勢百二十四人、そのうち百十人が日系スカウトであった。
 この数字は何を意味するかー。世界ジャンボリーという国際舞台においてのブラジル代表は日系人なのである。
 酒井カロリーナ・サンパウロ派遣団長によれば「ジャンボリー開催中の交歓会などでは、ブラジルにおける日系移民の歴史などを説明しなければならなかった」と苦笑する。
 参加したスカウトたちは様々な場面で「ブラジルは日本人が多いの?」と幾度も聞かれたというから、彼たち自身がブラジルでの日系人の存在を問い直したことは容易に想像できる。
 各国のスカウトが自国の民族舞踊や歌などを紹介するイベントで、ブラジル隊はサンバやアシェーなどを披露した。
 世界中のスカウトはまさに日系スカウトを通して、他民族国家ブラジルの一面を垣間見たのではないかー。
 医療と共に教育にも関心を持ち続けた細江が志を抱いてから半世紀ー。それはカラムルー隊五十年の歴史を意味する。
 カラムルー隊は今年、五十周年史編纂や様々なイベントを企画しており、三月十一日には創立五十周年式典を挙行する。
 細江を初めとする日系隊の創立者たち、そしてボーイスカウト移民としてやってきた元青年たちは、今日の日系ボーイスカウト隊の発展にどのような思いを抱いているだろうか。
 アクリマソンのカラムルー隊本部を入ると正面に細江静男の銅像が立っている。活動日である土曜日に歓声を挙げながら入ってくるスカウトたちを細江は今も見つめ続けているー。
      (敬称略)
     ◇
 ブラジルでは日系ボーイスカウト隊に限らず、ユダヤ系のアバニャンダーバ隊、ドイツ系のボロロズ隊など、他民族系ボーイスカウト隊も存在する。イギリス系のカラジャス隊などは七十年以上の歴史をもったボーイスカウト隊である。 一般の隊と比較して、日系隊を含めた民族系ボーイスカウト隊が活発な活動を続けていることは特筆すべき事実であろう。=この項おわり=
(堀江剛史記者)

■越境する日本文化 ボーイスカウト(1)=戦後、日系二世たちの方向づけ=勝ち負け抗争がきっかけ

■越境する日本文化 ボーイスカウト(2)=カラムルー隊発足=バウー訓練所設立へ

■越境する日本文化 ボーイスカウト(3)=訓練所は自然解散=細江氏の理想理解されず

■越境する日本文化 ボーイスカウト(4)=第17世界ジャンボリー 閉式の辞はブラジル代表=世界に認められた日系隊

■越境する日本文化 ボーイスカウト(5)=日系隊を支える親たち=国際舞台ではブラジル代表