2月20日(木)
一九六三年二月十二日に韓国人移民百人が乗り込んだオランダ船がサントス港に到着した。
それから四十年、韓国移民は服飾業界を中心に活躍を続け、現在約六万人を数える韓国コロニアは十四日、アニェンビー大ホールで四十周年式典を挙行した。
三千五百人以上が入る会場の約八割が埋まり、開幕まで来場者は入口ホールに設けられた韓国移民四十周年写真展で移民四十年の歴史を振り返っていた。
金曜日の午後七時開幕という時間が災いしてか予定が一時間ずれ込み、八時すぎから式典は始まった。
壇上にウィリアム・ウー市議会議員やワルテル・フェルドマン連邦議員が参列した来賓席の両脇には、韓国の民族衣装チマチョゴリを来た二十人ほどのアジュンマ(おばさん)たちの合唱団、その反対にはポリロゴス(韓伯学院)の生徒たちが並んだ。
式典では来賓のあいさつや初期移民に感謝状などが贈られた。
式典の間には車やバイクなどが当たるくじ引きなどが行われ、司会者が番号を読み上げる度に来場者からはどよめきが起こっていた。
式典後はテコンドーの模範演技が演じられ、ちびっこたちの勇ましい姿に会場からは歓声と笑いが巻き起こった。
プチェチュンと呼ばれる扇の舞やカラフルなチマチョゴリを朝顔に模した踊りが披露され、四つの打楽器を使った古典芸能サムルノリが賑やかに会場内を沸かせた。
四十周年を迎えた韓国コロニアの代表団体、韓国人協会の現会長は四十代の若きリーダーコン・ミョンホさん。
韓ポ両語が堪能なので今まで一世ばかりで行っていた式典なども今回はブラジル側に呼びかけを行い、両国の代表と共に喜びの日を迎えた。
参加した三十代の女性は「四十年の節目を盛大に迎えることができたのは韓国コロニアの喜び」と笑顔で話していた。
四十年の歴史を経て、韓国コロニアは一つの分岐点を迎えたようだ。
八時から始まった記念式典は、深夜二時過ぎまで行われ、サムルノリの賑やかな音色と共に大団円を迎えた。