2月26日(水)
[既報関連]約束通り、去る二月二日からパラグアイのイグアスー移住地で「穴がま」作りが始まった。作っているのはイタペセリカ・ダ・セーラ市在住の陶芸家・生駒憲二郎さん(三重県出身)。同移住地で農業を営んでいる久保田洋史さん(東京農大卒・滋賀県出身)の招待に応じたもの。
両氏の橋渡しをしたのが生駒さんの娘のエリさんだ。四~五年前、エリさんはブラジル・パラグァイ日系子弟の交流事業に参加して、イグアスー移住地で久保田家にホームスティ-をした。手土産はお父さんが焼いた陶器の飾り物だった。これに注目した久保田さんは、農協組合長だった二〇〇〇年九月に、婦人部一行三十六人を引率してイタペセリカ市の生駒工房を視察した。
これが婦人たちの〃芸術心〃に火を注ぐ結果となった。一粒万倍、可憐な一人の少女が蒔いたタネが芽をふき、今、イグアスーの久保田農場で待望の「穴がま」作りが始まった。
生駒さんによると、日本に穴がまが導入されたのは、鎌倉時代であるが、中国やインカ帝国(チリ)では紀元前二世期ごろに作られ、金や銅を溶かしていたという。穴がまの特長は「焼き絞め」た作品が出来上がること(本紙二月一日報道)。
かまの横の長さは四メートルで、奥が段々と高くなっている。一番奥に三メートルの煙突を立てる。煙突は三メートルでもかまの奥が高くなっているため、地上からは四メートルの高さとなる。これで正面(火入れ口)と煙突の頂上が四十五度の理想的な角度となる。この構造でかま内部の中心部の温度が一千三百度まで上がるという。移住地では、四月上旬まで主要農産物である大豆の収穫期となるため、陶芸教室は四月中旬に始まる予定である。
「婦人部の期待が高くて、希望者が多いので調整が大変です」という久保田さんの脇で、日本人会の井上幸雄会長(奈良県出身)が「家内を差し置いて、私も受講しようかな」と意欲を見せていた。
大豆「オーロラ」と本物「和牛」に続いて、今度は「陶器」を特産品の仲間入りさせようとするイグアスー移住地は、本当に元気いっぱいだ。