3月27日(木)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十四日、フォーリャ・オンライン二十六日】大サンパウロ市圏フランコ・ダ・ロッシャ市Febem(州立未成年者支援財団)から二十六日未明、少年犯罪で収容されている院生四十二人が脱走した。少年たちは「院生の具合が悪い」と監視官を騙して取り押さえ、鍵を盗んで脱走したという。警察は午前七時までに十二人を再逮捕した。
今年、同Febemでは、すでに二十八回も暴動が発生。「Febemの監視官が暴動を促している」という告発もあり、多くの職員が免職された。暴動のたびに負傷が絶えない職員もおり、サンパウロ州Febem職員労働組合は、二十八日にスト入りすると予告している。
少年たちはなぜ逃げるのか。Febem内部の実態は―。エスタード紙は、現在同市Febemから逃走中の少年三人にインタビューし、彼らの目で見たFebemを伝えた。
[少年A(一八)の場合]玩具のピストルで車両強盗を働き、Febemに収容された。一緒に収容された友人は、Febemの暴動で死亡した。「ある日、二十九号棟の日光浴の時間に、肺炎にかかった院生が整列しなかったため、規則違反だとして監視官に殴られた」と内部の現状を語った。十六日、少年たちとあらかじめ交渉した職員たちが同Febem二十九号棟の門を開いた。少年たちは一斉に脱走を図った。「俺の自由をそこに見た」。Aもその一人だった。
[少年B(一九)の場合]収容二度目のBは、Aと同じ日に脱走した。「生き残るために逃げた」と話す。前回暴動が起きた時、職員たちは暴動に参加しようとしなかった少年たちをこん棒や鉄棒で殴った。Bも頭部を殴られ気絶した。「怖かった。殺されるかと思った」。
[少年C(一六)の場合]二月末、職員たちが監房と門の鍵を渡して「君たちの番だ」と述べた。暴動を起こせ、という合図だ。少年たちは命令通り暴動を起こし、職員たちはわざと少年約三十五人の脱走を見逃した。「暴動は日常茶飯事だった。鍬の柄で殴られるのにも耐えられなかった」。強盗罪でFebemに二度収容された。「就職し、学校に戻って、少年裁判所の判事に仮釈放を交渉したい」。何の理由もなく少年たちを殴っていた監視官たちに強い怒りを感じ、「偶然会ったら殺す」と誓っている。