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コラム 樹海


 サンパウロ総領事館もなかなかに思い切ったことをやる。叙勲申請は自薦でも受け付けます─のお達しに驚き仰天したのはコロニアだ。花の勲章にふさわしい人物が払底したのかどうか。このところ、春秋の定例叙勲では該当者無しが続いたりする。その昔はあんなにいた勲章亡者たちも、今は少ない。いや、「いない」のかもしれぬ。移民は払底し、一世は激減。もう勲章どころではない─の実感もあろう▲戦後の叙勲制度は昭和三八年(一九六三年)に復活。池田内閣の手によってである。サンパウロで初の叙勲は一九六五年で蜂谷専一、大河内辰夫両氏に勲五等。邦字三紙はトップで扱い大騒ぎしたものだ。以後、勲章ブームが続く。猫も杓子もがあの輝くばかりの勲章を胸に─と思ったのだろうが、傍目には滑稽なほどの執心に映る▲叙勲拝辞の騒ぎもあった。笠戸丸より早くブラジル入りし移民の指導者としても活躍した鈴木貞次郎が話題の人だ。南樹の雅号で知られ元来が野人であるし勲章などとは無縁の人なのである。旧日伯新聞社長・中林敏彦氏らが、受けるように勧めたらしいけれども、ご本人は頑として聞かない。当時の首席領事・広岡欣之介は余り口がよろしくない。本人に悪い気はないのだが▲あのときにも「勲章に年金は付かないからな」の失言があったりもした。こんな騒ぎも七十年代の半ばで終わったような気もするのだが─。後は雑魚のようなもので勲章が嘆き泣く。そこへ「自薦も可」との総領事館のご通告では、勲記は慟哭し勲章は霞む。   (遯)

03/03/27