4月11日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十二日】フォルクスワーゲンは今年、ブラジルに進出して五十年になる。第二次大戦後まもない一九五〇年、復興時にあったドイツの自動車産業フォルクスワーゲンが海外進出第一号として、ブラジルを選んだのには大きな賭けがあった。クビチェック大統領の工業化政策に呼応し、中南米市場を求めて進出を決定した。
同社は五十年前の一九五三年、イピランガ区で倉庫跡を賃借して十二人の職工とともに、資材輸入による自動車の組立工場をささやかに開業した。その後アンシエタ街道に本部工場を建設して八〇年代は四万人の工員を雇用し、四十二年間業界の王座を保った。
ブラジル工場は、同社にとって海外に散在する十九拠点のうち、米国工場に抜かれるまでは最重要拠点となっていた。同社は一九九三年、三百万台のフスカを専門に生産し業界のトップを飾った記念に、初めて新型車ゴールを発表した。