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「花嫁移民」特別展 パラナ移民史料館=初渡航から44年=〝初心〟とその後の苦労偲ぶ=6月、移民祭に併せて

4月17日(木)

 [一部既報]パラナ日伯文化連合会(アリアンサ、嶋田巧会長)は、来る六月十五日、移民祭を行うが、これに併せローランジアのパラナ州日本移民史料館(谷川悟館長)で、戦後の「花嫁移民」を取り上げ、特別展示会を開催する。
 企画によれば、花嫁移民が渡航の際携行した品物、写真、手紙などを借用、展示、当時を偲ぶ。期間は三カ月が予定されている。
 花嫁移住といえば、密接に関係があるのが「コチア青年」である。コチア青年移住が農村の二、三男対策で、独身青年の移住であったからである。実際に、コチア青年に嫁いできた花嫁は多い。
 コチア産組は、積極的に花嫁呼び寄せを行った。一九五九年、神戸出港のあめりか丸に花嫁移民十二人が乗船、全国農協婦人協議会の神野ひさ子会長の引率で四月二十三日、サントスに入港、当時、コロニアに話題を提供した。写真見合いの場合は、問題がなくもなかったが、関係団体の〃事業〃として成果をあげたのは間違いない。
 コチア産組は、六三年三月から、拓殖部移民課に結婚相談所を開設、古関ベルギースさんを嘱託(相談員)として、青年達の結婚問題に取り組んだ。
 七〇年代はじめ、コチア青年の結婚相手は――日系二世四九%、一世(すでに在伯)一二%、日本からの呼び寄せ三六%、非日系人三%。日本からの呼び寄せ三六%はたいへんな高率だ。今回、展示会を企画したパラナ文化連合会では「パラナにも花嫁はたくさん来ている」という。
 古関相談員の日本での呼びかけに応じた、当時の花嫁移民候補の声にはつぎのようなものがあった。「ブラジルの山のなかで、たった一人でクワを振るっているなんて、すごくひかれる」「デパートに勤めていたが、せかせかしている、この日本にあきちゃった」。
 日本の高度成長前のことだ。ともかく花嫁たちは来た。 渡航後、いわゆる楽をした人はいない。コチア青年たちとほぼ同じ年数をブラジルで歩んできた。史料館では「現在、各地で余生を楽しんでいるでしょう。今回の企画に理解と協力を」と呼びかける。
 問い合わせや、協力できる人は次ぎに一報を。電話043・3324・6418、043・3324・4967(アリアンサ)、043・3345・0275(たにがわ館長)