4月24日(木)
サンパウロ有数の麻薬密売王で『オ・セルジーニョ・ジャポネス』と呼ばれたヨシモト・マサツル・セルジオ被告(三七)が二十一日午前六時ごろ、ジュンジャイ市カンポリンポ・パウリスタ、コンドミニオ・サンタリタの姉妹宅にいたところを武装した覆面二人組に襲われ、顔などに四発の銃弾を受け死亡した。被告は事件当時、麻薬密売罪でサンパウロ州高等裁判所から懲役九年の実刑を言い渡されている身だった。強盗、転売詐欺といった容疑でも身柄を追っていた警察では、取り引き上のもつれから生じた復讐あるいは証拠隠滅のための殺害の線が濃厚とみて捜査を進めている。
「メガ・トラフィカンチ殺される」―。二十三日付ジアリオ紙は被告を「サンパウロ中の警察に最も行方を追われていた人物のひとりだった」と称し、麻薬王の殺害を報じた。
事件の模様は地元紙ジョルナル・デ・ジュンジャイに詳しい。それよると、事件当日、犯人二人組は番犬を撃った後、戸口を叩き、車庫に呼び出した。被告は二十日夜から同宅で家族と一緒にいたため、「彼らには何の関係もない。まだ幼い子もいる。余計な手は出さないでくれ」と犯人に懇願し殺害された。
【度重なった判決】
被告は九三年、九六年そして九八年にも麻薬密売の容疑で逮捕。有罪を言い渡されている。
九八年にジュンジャイ市で逮捕されたときには、百五十キロものコカイン(当時百五十万ドル相当)を所持し判決を受けた。
同年十二月十一日付エスタード紙が報じたところによると、被告は「十五日おきにサンパウロ市に三百キロの麻薬を供給」していた。
麻薬の入手先はボリヴィアで、この際に自家用セスナが運搬に使われていたことも明るみに出ている。
【〃合法的〃出獄】
逮捕され実刑判決を受ける度に、被告はサンパウロの監獄から地方の刑務所に送られた。九三年はパラナ、九六年はトカンチンス、九八年にはゴイアスへと身柄を移されている。
「ジャポネスは囚人の身にあったときでも指令を出してきた」。二十三日付エスタード紙は今回の殺害事件の記事をそう締めくくり、その裏世界での影響力の大きさを強調した。
被告は刑務所にいったんは収容されても、なぜかいつも〃合法的〃に出獄してきた。九八年のときはわずか一年で服役を終え釈放されている。
【華麗なる生活】
被告は九八年九月から市内シティ・ラパ区の邸宅に住んでいた。五つの寝室にいくつかの広いサーラ、プールにシュラスケイラ付きの家だった。すぐそばには警察の分遣隊施設があった。また、最新モデルの自家用車とセスナ機、マットグロッソ州には農場を所有していたことも分っている。
隣人らはどこかの企業の社長か、大豆の大農園経営者かと思っていたという。