4月30日(水)
リマ、セントロ。コロニアル調の建築物を多く残すこの地域は現在、雑多な雰囲気で道行く物売りや車の往来でにぎやかだ。
かつて偉容を誇っていたであろう重厚な作りの立派な建物群はポスターなどが貼られ、黒くすすけている。
治安の面でいうと複数の少年たちによる強盗事件が頻発している。最近も防犯カメラで写された犯罪現場がテレビ放映され、リマ市民に衝撃を与えた。
そのセントロの一角にあるビル。二階の窓に貼られている横断幕には大きく、「DONDE ESTAN LAS PRUEBAS?(証拠はどこにある)」と書かれている。
市民団体によるフジモリ支援事務所である。この事務所は今年二月二十六日に開設され、デモ行進や集会などを地道に行っている。
事務所に同行してくれたのは、ペルー在住のフリージャーナリスト、三山喬氏。朝日新聞記者を務め、ペルー新報に勤務後、現在、フリーでジャーナリスト活動を行っている。
三山氏から元フジモリ派議員のカルメン・ロサーダによる同事務所の開設経緯などの説明を聞きながら、歴史を感じさせる角の取れた階段を上る。
対応してくれたのはホアン・ゴンザレス氏。彼が集会の行われる日程などを説明してくれている間に、事務所開設時には五百人が集まったという事務所内を見渡す。
「平和を与えてくれてありがとう、フジモリ」「昨日、今日、フジモリイズム
は永遠に」などといったフジモリ賛美の言葉が書かれたポスター。
壁には大きなフジモリの顔が描かれている。彼の家族を祭った祭壇のようなものもあり、宗教的な雰囲気さえ感じる。
偶然にもその日の夜に集会が行われ、三山氏と共に、再び同事務所を訪れた。
「ペルー、日本、心はひとつ!」約百人のフジモリ信奉者がちょうど気勢を上げていた。司会者はマイクをつかみ、「日本人の記者が取材に訪れた」と告げた。
大きな拍手と共に数人が我々を取り囲み、白髪の婦人がジュースを持ってきてくれる。参加者たちは盛んにフジモリを称賛し、「日本人はアミーゴだ」と親愛の笑顔を見せる。
集会のコーディネーターであるロベルト・メンドーサ氏が席を設けてくれ、「私たちはフジモリに感謝している」と話し始めた。
今の政権の無能さやマスコミの報道姿勢など批判し、フジモリ政権時代がいかに素晴らしかったか、ペルーの発展にフジモリの帰国が急がれていることなどを滔々と述べた。
周りの参加者たちはあいづちを打ったり、拍手で彼の発言に呼応する。
「三月三日の世論調査では、フジモリ支持は三五パーセントの結果がでている」と、メンドーサ氏はフジモリ支持者が多いことを強調する。
署名運動などの準備もしていたが、フジモリからメールで「まだその時期ではない」と連絡を受け、「現在、待機している状態」だという。
事務所に対して、いやがらせなどは一切なく「そういうことがないこと自体、フジモリ支持者が多い証拠。二〇〇六年の時期大統領選には分かるよ」と満面の笑顔で答える。
会員もまだ少なく、日系人の参加者はいないというが、「日系人も応援してくれるはずだ」と自信たっぷりに答えた。
一時間も話したころ、三山氏の提案により、彼らに一つの頼み事をした。
「活動拠点である街に連れていってもらえないか」というものだ。
「もちろんだ。大歓迎する」と彼らは首を縦に振り。握手を求めてきた。
翌日、二万家族が住むという大貧民街、パチャクテを訪れることになる。 (堀江剛史記者)
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