5月20日(火)
「私はお茶が大好きでね。中でも八女茶がやっぱり一番だね」
福岡出身の一世副会長は湯飲みに口を寄せながら、目を細める。
サンパウロ文協の理事会メンバーが二世に総替わりした、と一世から悲観とも不安とも取れる言葉を聞くことがある。まだ一世が多いといわれる日系諸団体との連絡を担当するのは松尾治氏(六五)だ。
一九三八年小倉生まれ。父親の仕事の関係で奉天やハルピンで幼少期を過ごし、四四年帰国。
義務教育を終えた一九五五年、十六歳の時に単身で「あめりか丸」に乗り込んでいるが、若くして海外雄飛の志を抱いたわけではなかったようだ。
「怖くて逆らえなかった祖父からの逃亡ですよ」と松尾氏は当時を振り返り、破顔する。
幼い頃、病弱で病院通いが続いたことから、医者嫌いだった治少年を厳格な祖父が医者にさせようとしたのだという。
「なんとかして日本を出たくてね。ブラジルにいた義理の叔父に呼び寄せてもらったんですよ」
来伯後、リンスの叔父が営んでいた雑貨商で働き、言葉の壁と奮闘しつつ、中学と高校に通った。
五九年に南米銀行に入社後はラッパ、ミランドポリス、リベイラバレットなどの支店長を務め、七一年にはガルボン・ブエノ店の支店長に。その際、伝田英二第四副会長はコンピューター部門の部長をしていた。
八五年には南米安田保険に取締役として出向、SEASULの専務などを経た後、九五年に安田SEGUROの社長に就任している。名誉会長を務めた後、〇〇年に定年退職した。
現在、様々な地方の日系団体で運動会やイベントが行われている。松尾氏は文協副会長として、積極的に出席し、「週末はサンパウロにいるときがない」ほどの忙しさだ。
「日系諸団体が密接なつながりを持って、自然に助け合うことが出来れば」と松尾氏。地道に地方を訪れる中で、文協と地方団体の一番いい形の関わり合い方を模索中だ。
その中で「UNENに対する考え方も積極的に聞いていきたい」とも話す。
松尾氏は「時代の流れから考えて、昔の文協の姿に戻すことは難しい」と話しつつも「会話を通じて地方団体と関係を作っていき、共に百周年を盛り上げたい」とその思いを語る。
地理上の観点から見ても日系団体を一つに統合するのは事実上、不可能だろうが、どういう形で、日系諸団体が力を合わせていけるのかー。
「十五人の地方理事たちともこれから、話し合いを進めていく」という松尾氏は断言する。
「これからの時代、どんな団体も小さな組織ではやっていけないよ。それは銀行も文協も同じこと」
(堀江剛史記者)
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