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空軍中枢に日系中将誕生=サンパウロ州出身のサイト氏=日系で二人目の快挙=幕僚監部にも抜擢

5月23日(金)

 四月二十八日、リオの空軍航空支援部隊(COMGAP)司令部で、日系で二人目の中将(Tenente-Brigadeiro-do-Ar=大将クラス)が誕生した。サンパウロ州ポンペイア市出身のサイト・ジュンイチ氏(六〇)だ。就任と同時にサイト氏は、空軍最高意思決定機関の「幕僚監部」にも抜擢され、今後の更なる活躍が期待されている。

 サイト氏は中将(大将クラス)に昇格すると共に、航空支援部隊司令官に就任。空軍公式サイト(www.fab.mil.br)によれば、この部隊は、各航空方面隊への物資補給をするだけでなく、空軍関連産業の育成から、アマゾン空域パトロールまでの様々な任務を担う、空軍中でも総司令部なみに複雑かつ重要な役割を持つ。約七千人の士官がサイト司令官の配下になった。
 前任地で、南部州を統括する第五航空方面隊(V COMAR)では、やはり司令官を九九年から〇三年まで務めた。同方面隊にはサンタマリア、フロリアノーポリス、カノアス各空軍基地をはじめ、様々な部隊が所属している。
 サイト氏は九機種の航空機、合わせて五千五百時間の豊富な操縦経験を持ち、その間、色々な要職も歴任している。例えば、空軍武官として英国やスエーデン、ノルウェーなどのブラジル大使館にも赴任、パラグアイ空軍へも技術武官として赴いたほか、第二航空方面隊(II COMAR)司令官も務めた。加えて、パラグアイ空軍からの名誉パイロット章「Honoris Causa」など、多くの勲章やメダルも受章してきた。
 サイト氏は十八歳になる以前の一九六〇年三月五日に入隊。六五年十二月には仕官候補生に選ばれ、一年もしないうちに少尉に昇進した。六八年十一月からは中尉、七一年三月には大尉になった。七五年から八一年は少佐、八一年八月から中佐、八八年に大佐と順調に軍歴を重ねてきた。
 九五年三月に准将、九九年に少将、今年晴れて中将に抜擢された。現在、サイト氏は空軍幕僚監部(Alto-Comando da Aeronauti-ca)にも入っている。この組織は中将以上の最高階級の司令官八人から構成されており、空軍の最高意思決定機関として機能している。
 一人目の日系中将は飛行機のスペシャリストとして知られる川南正雄氏(六七、カワナミ・マサオ=サンパウロ州出身)で、一九九五年に就任した。その後、リオのサンジョアン要塞の高等戦術学校校長を務めながら、四年前に予備役将校となった。
    ■注釈■
 日伯の軍階級は一致しないため、的確な名称が付けづらい場合がある。空軍には元帥Marechal-do-Ar階級があるが、軍政時代初期の六五~七一年に空軍トップ二代を務めたのみ。その後の三十二年間に十代トップが交代したが、階級は全てTenente-Brigadeiro-do-Arだ。そのため、実質的に大将を兼ねる最高階級となっている。もちろん、現在のルイス・カルロス・ダ・シウヴァ・ブエノ空将も同階級。しかし、Tenenteは通常〃中尉〃や〃中将〃をあらわす単語であり、両方を鑑みた結果、日本語訳は「中将(大将クラス)」とした。