6月4日(水)
ピラール・ド・スル日伯文化体育協会(伊藤正男会長)は、一日に、同協会講堂で「ピラール・ド・スル文化体育協会創立五十周年記念式典」を催した。同協会は、一九五三年に、会員四十八名でピラール・ド・スル中央日本人会として発足、その後同文協に改名、現在に至る。同式典は、聖南西地区を中心に六百人以上の参加者があり、講堂は満員になった。会は、途中記念碑プレートの除幕式も行われ、詰めかけた人たちからは大きな拍手が起こった。
ピラール・ド・スル市は、サンパウロ市から南西に百五十キロ、人口二万六千人の農業都市。かつては、トマテの一大生産地で、現在はブドウなどの果樹栽培が盛ん。中心部でも、平日は午後十一時を過ぎると人通りは少ないのんびりとした雰囲気を持つ。
午前九時から開会に先だって、開拓先没者慰霊祭行われた。慰霊祭は、伊藤正男文協会長があいさつ。浄土真宗本派本願寺ブラジル別院総長の中西利正さんが、読経し、母親との経験を元にした法話を語った。
つづいて午前十時過ぎから、式典がはじまった。会には総領事館から中須洋治領事、JICAから石橋隆介次長、ブラジル日本文化協会から小川彰夫理事、日本語普及センターから谷広海理事長、安部順二モジ市市長、スドエステスポーツ連盟から森エリオ会長、ピラール・ド・スルからノエル・バチスタ・デ・カルバーリョ議長、ザール・デ・ゴエス市長ほか、近隣地域の文協会長が出席。
式典は、宗友夫さんの開会宣言ではじまった。はじめに、開拓先没者に対して一分間の黙祷、両国国歌斉唱を行い、伊藤会長があいさつ。
伊藤会長は、「半世紀前の先輩方は、想像も絶する艱難辛苦の連続であったと思われます。現在の日系社会の環境は、世代交代が進み、大きく移り変わり、異境の地にあって精神的支えになっていた日本人意識そのものが、同化埋没しつつある現状は憂慮に堪えません。今後とも、みなさまと共に力を合わせて、地域社会の発展に努力することをお誓い申し上げます」と語った。
その後、式典は同地域五十年のあゆみの報告や、各来賓の祝辞が続いた。五十年のあゆみを語った安藤禎重さんは、「日本庭園及びゲートボールコート造成の際に、市の協力でトラック五十台分の土砂の援助があった」と、市の協力を強調した。
式典の中盤では、表彰状ならびに記念品が贈られた。文協創立に協力した市会議員をはじめ、歴代会長、特別功労者、文協創立会員、祭典準備委員長などが対象となった。式典は、十二時半ごろに板倉陸典さんのあいさつで閉幕した。
式典のあとには、昼食会が行われた。上芝原実夫準備委員長の乾杯の発声のあと、ピラール産の果物や、婦人部手作りの巻きずしなどが振舞われ、来場者は舌鼓を打った。隣接する日本語学校校舎には、「文協創立五十周年の歩み写真展示会」や「文協体育部活動展示会」も行われ、多数の人出でにぎわった。