6月6日(金)
【マリー・クレール誌】一九五〇年代、愛は永遠だと信じられていた。七〇年代には、愛の自由がおう歌され、離婚もするようになった。現代、恋愛形式はさらに自由になったが、結婚を重視する傾向が再びみられるようになった―。過去五十年間に、愛の形は大きく変わった。各世代の夢や価値観の変化とともに、男女の交際にも世代の差が表れた。マリー・クレール誌は、六十四歳、五十歳、二十四歳の女性にインタビューし、各世代の恋愛経験について掲載した。
[マリア・E・N・アレッソさん(六四、主婦)の話]
一九五三年、わたしは十五歳だった。多くの親たちは若い男女が交際することをよく思わない時代だったので、ボーイフレンドを見つけるのは一苦労だった。
デートは映画かバイレ(ダンスパーティー)。映画に行く時はいつも弟が一緒。バイレで踊っている時に男の子がくっついてきても、「噂されるわ」と言って寄せ付けなかった。
十七歳の時、今の夫ルイと知り合った。付き合い始めて数カ月もたたないうちに、彼は婚約を申し込んだ。当時結婚することは、勉強をやめることを意味した。週末には母や祖母が家事を教えてくれた。
高校卒業後、嫁入り道具の準備が始まった。初夜に使う白いカミゾーラ(ネグリジェ)は自分の手作り。でも結婚直前も男女の性関係について全く知らず、母も一切話してくれなかった。結局何も知らないまま結婚。でも夫はとてもやさしい人だったので、安心して身を任せられた。
今年五月に結婚四十五周年を迎えた。子供たちは結婚したので、また夫と二人きり。今でも夫婦仲は円満で、毎年結婚記念日を祝っている。若く結婚したことを悔やんでいない。ただ、子供たちが大きくなった時、仕事を見つけていればよかったとは思う。
[ジオネイア・ダ・パイションさん(五〇、建築家)の話]
モラル面で厳しい両親の元に生まれたわたしは、両親の抑制的な態度に反発した。
七二年に大学に入学した。わたしはヒッピーになり、よく海岸で踊りながらアシッドを試した。麻薬は今とは違って、精神を解き放ち、感覚を拡大するためのものだった。
その後、わたしを含む女性二人と男性五人の共同生活をした。「性は自由であり、嫉妬を感じることや相手を独占したいと考えることはおかしい」と皆が頭で納得していたけれど、実際には無理なことだった。
「性は自由だ」という哲学の下、自分の気持ちを素直に打ち明けることすらできない。心がはちきれそうだった。ほかの団体の間でも、同じようなことが起きていた。わたしたちの生活は六年後に終わった。
結婚はうまくいかないものだとわたしは思う。毎日の男女の共同生活は、男女を廃れさせる。男女がそれぞれ自分の家に住んでいれば、結婚もうまくいくかもしれないけれども。
[カリーナ・アフォンソさん(二四、建築家)の話]
わたしの両親は開放的で、恋人が家に泊まっても、わたしが彼の家に泊まっても何も言わなかった。わたしたちの世代は、自分の子供に対してもっと自由にさせると思う。
性について親と話したことはなかったけれども、学校やテレビ、友達とかから教えてもらったから、初体験の時も安心していた。わたしの世代は処女性云々と心配せず、女は自由に自分の相手を選べると思う。
最近ではフィカール(異性と軽く付き合うこと)はよくあること。フィカール状態だと、週末一緒に過ごす義務もなければ、友達や家族に紹介する必要もない。男女の交際とは程遠い。わたしは、「付き合って。フィカールが長続きするのはイヤ」とはっきり言う方よ。
交際相手を絶対に裏切らないことは、男女の交際の基本だと思う。最近では、男女二人で過ごす時間が昔より増えたので、相手とうまくいくかどうかがよく分かると思う。
わたしはちゃんと結婚したい。素敵なアパートに住んで、子供もつくりたい。早く彼から結婚を申し込まれたいなぁ。