6月12日(木)
「機械農の夫は夜半まで働きてなお吾が眠気を気遣いくるる」――夫婦愛がにじみ出た歌、横沢幸子さん(七六、ゴイアス州クリスタリーナ市在住)が、このほど自費出版した歌集『ひそやかなあゆみ』におさめられている一首。日本語をほとんど独学で猛勉強し、日系社会文芸界の中軸を担ってきた準二世の歌集が、また一冊出た。
一九三二年、五歳で父母に連れられて渡伯した横沢さんは、学校というものに通ったことがない。入植した植民地には日本語学校もブラジル学校もなかった。わずかの間、個人教授を受けたほかは独学だ。父親が、早稲田女学講義録を買ってくれた。戦時中はこの講義録を一生懸命独習したという。
新聞、雑誌が読めるほどに日本語を修得、終戦後、発行された邦字新聞の歌壇に興味を持った。移民の日常を詠んだ歌をみ、「わたしにもつくれるのではなかろうか」と、作歌に入っていった。七五年、小笠原富枝、陣内しのぶ共選のサンパウロ歌壇に投稿、それが縁で陣内さんから私信で教えてもらえるようになった。
歌は、日常の出来事や、おりおりに心をよぎったさざ波のような情感を詠んだものばかり、という。歌集刊行にあたり、陣内さんに取捨選択、添削してもらった。陣内さんは病気養生中にもかかわらず一千首ほどに目を通し、添削を行った。安良田済さんは「序に代えて」のなかで、「歌集は横沢家の歴史であり、何についても素朴に、素直に詠んでいるところが強みだ」と推薦している。
横沢さんの孫たちは、いま日本語を勉強中だ。おばあちゃんがつくっているポエジアというものをよく理解させるには、翻訳したほうがいい、と思い当たり、安良田さんに開直子さんを紹介してもらい、ポ語翻訳四十五首を歌集に添えた。
歌集の冒頭「娘時代」の項に収録された一首「老いたりし母のまなこにこの我もわがまま言えぬ歳となりたり」。扉のまえに「私の歌集『ひそやかなあゆみ』を亡きお父さんお母さんに捧げます 幸子」とある。
横沢さんの電話番号61・612・1555。