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フェスタ・ジュニーナたけなわ=3聖人に捧げる行事=ヨーロッパ農村習慣に由来

6月13日(金)

 【ジアーリオ紙系ジャー誌三四三号、エスタジーニョ紙七日】伝統衣装を着て、クアドリーリャを踊る時期が来た! カーニバルの次にブラジルを代表する行事フェスタ・ジュニーナ(六月祭)は、六月中各地で盛大に祝われる。六月祭は、カトリック教のサント(聖)・アントニオ、サン・ジョアン(聖ヨハネ)、サン・ペドロ(聖ペトロ)の三聖人に捧げる祭り。六月十三日、二十四日、二十九日がそれぞれの聖人の日なので、一カ月間まるまる祝い続ける。

 聖アントニオは一一九五年、ポルトガルのリスボアで誕生。一二三一年六月十三日にイタリアで没した。ブラジルでは結婚の聖人として知られる。この聖人の像が、ドアの後ろなどで逆さまに立てられているのは、独身女性が早く花婿を迎えるためのおまじない。
 聖ヨハネは、キリストのいとこで、キリストを洗礼した。聖ヨハネが生まれた六月二十四日、母のイザベルがマリアに出産を伝えるために焚き火したことから、六月祭に焚き火が付き物になったとか。
 聖ペトロはキリスト十二使徒の一人で、天国の門番と見られている。
 そもそも六月祭は、植民地時代に伝わったヨーロッパの習慣とブラジルの習慣が混ざって現在の形になった。ヨーロッパの農村地帯の習慣に由来するので、別名カイピーラ(田舎)祭りとも呼ばれるようになったという。
 六月祭で最も陽気なイベントであるクアドリーリャは、田舎者の新郎新婦の結婚式を楽しく表現した踊りで、六月祭には欠かせない。ブラジル地方の習慣だと思われがちだが、六月祭を研究するジオーゴ・F・ガット氏によると、十八世紀のフランスで開かれていたカドリール(カドリーユ)が起源とのこと。
 カドリールとは、十八、九世紀にフランスで流行した社交ダンスのことで、通常四人一組で踊る。後にアメリカに渡ってフォーク・ダンスの元になった、と言われている。
 「当時の上流階級のブラジル人は、ヨーロッパの習慣を真似るのが好きだった」とガット氏。同氏によれば、カドリールのポルトガル語訳「クアドリーリャ」は、結婚を考えている若い娘を殿方に紹介し、娘自身が結婚相手を選ぶために開かれていた。
 クアドリーリャが広く知られるようになったのは、庶民の間でも行われるようになってから。少しずつ、サンフォーナ(アコーディオン)やトリアングロ(トライアングル)、ザブンバ(打楽器の一種)などの楽器がクアドリーリャの伴奏に使われるようになり、現在の形式となった。
 六月祭と言えば、ブラジル北東部ペルナンブーコ州カルアルー市とパライーバ州カンピーナ・グランデ市が有名だ。北東伯では六月二十四日の「サン・ジョアンの日」は休日で、一日中フォローを踊りまくるという。どちらが六月祭の本家かという話になると、火花が散るほど論争は激しい。
 またマラニョン州サン・ルイス市の一味違った六月祭も独特。『ブンバ・メウ・ボイ(わたしの雄牛、ブンバ)』という北東地方の民族舞踊が拝見できる。
 サンパウロでは、教会や学校、クラブなどで、やんちゃな子供たちのために六月祭を開催する。