6月19日(木)
コロニアでは「百周年祭の五年前」という枕言葉付きで語られることの多い日本移民九十五周年の今年――。はたまた戦後移住五十年の節目と強調する人も多い。一方、ブラジル社会において「日本移民の日」は、十五日朝のグローボ局「アンテナ・パウリスタ」や、十八日午前八時のアナ・マリア・ブラーガの番組などでも三十分以上を割いて特集され、ガゼッタ・ド・ポーヴォ(クリチーバ)、ジアリオ・デ・モジ、モジニュース、ジアリオ・デ・スザノなどの伯字紙各紙も大きく報道した。九十五年の重みは、各方面で確実に増している。そんな中、様々な追悼の思いを込めて執り行われた、サンパウロ市各所の慰霊祭の様子を伝える。
日本移民九十五年記念開拓先亡者追悼法要(共催・ブラジル日本文化協会、ブラジル仏教連合会、釈尊讃仰会、ブラジル仏教婦人連盟)が十八日午後一時半から、文協大講堂でしめやかに執り行われた。先亡者の苦労を偲ぶ約二百五十人が参列した。
釈尊讃仰会の安田泰弘会長は「(追悼法要を)四団体共催で営む運びとなったのは、大きな喜び。関係者にも感謝したい」と開式の辞を述べた。
美和会の琴、三味線、尺八などのよる献楽が流れる中、ブラジル生け花協会、裏千家がそれぞれ献花、献茶を行った。
可愛らしいお稚児さんたちに導かれ、浦部玄導師と各宗派の諸僧がステージに上り、三帰依文が唱えられた後、表白文が読み上げられた。
上原幸啓文協会長は移民の日の経緯を振り返りながら、「今年が戦後移住五十年、五年後には日本移民百周年を迎えること」を霊前に報告。
「日系社会も世代交代が進んでいますが、先亡者の意志を受け継ぎこれからの日系コロニアの発展、日伯友好、親善に努めていきたい」と追悼の辞を述べた。
続いて、赤阪清隆サンパウロ総領事、小松雹玄JICAサンパウロ支所長、中沢宏一県連会長が、それぞれブラジルで艱難辛苦を乗り越えた先亡者に対して、現在の日系社会の繁栄を報告した。
僧侶たちの読経に続き、浦部導師はあいさつの中で「日本民族の誇りとして、この法要をこれからも続けてほしい」と願った。
自身もブラジルに移住して四十六年が経ったという佐々木陽明日伯寺住職が「日本移民の誇り、願い、責任」をテーマに約二十分の法話を行った。
焼香を行う来賓や一般参列者の列が続く中、美和会の演奏が会場に響き渡っていた。