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移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」

6月26日(木)

 「三ノ宮駅から山ノ手へ向かう赤土の坂道(中略)が丘に突き当たって行き詰まったところに、黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている。後ろに赤松の丘を負い、右手は贅沢な尖塔をもったトア・ホテルに続き、(中略)丘の上の是が『国立海外移民収容所』である。」(『蒼氓』石川達三)。
 神戸の高台に並んで建つ二つの建物、神戸移民収容所(一九二八年開業)と、トア・ホテル(一九〇八年開業)は、神戸の歴史を語る上で、忘れることができない重要な役割を果たしてきた舞台である。しかし、この舞台の登場人物が展開してきた人間ドラマは、まことに、劇的なまでに対照的である。
 英、独、米、仏などの共同出資で建設されたトア・ホテルは、居留地のオリエンタルホテルとともに、神戸の外国人、上流階級の社交場、いわば神戸の鹿鳴館とも言うべきホテルだ。一方、その西隣に、現在も当時のままの姿で残る旧移民収容所は「生涯帰らないつもりで一切の絆を断ち切って、家も売り田も地主にかえし」(『蒼氓』)た移住者が、日本全国から内航船と汽車を乗り次いで、長旅の末やっと神戸にたどり着き、ここで渡航前の健康診断と研修を受けた施設。
 講話と予防接種に明け暮れた十日間、移住者には、トア・ホテルに出入りする着飾った紳士・淑女がまぶしく見えたに違いない。「隣のトア・ホテルのヒマラヤ杉の美しい木立の中に立派な自動車が車体を光らせながら出入りするのが見えて、杉の枝から雪がさらさらと崩れていた」「トア・ホテルの尖塔に明るい灯がついているのが見えた」(『蒼氓』)、石川は、収容所の移住者の目でトア・ホテルをこのように描写している。
 トア・ホテルが開業した明治四十一(一九〇八)年は、奇しくも「第一回ブラジル移民船笠戸丸」が、神戸を出港した年だ。「トアホテルは、神戸の山手、高く聳え立ち、屋根と塔屋の赤い瓦が直ぐ後の松の緑と効果的なコントラストをなして、(中略)スエズの東此の方、最高級のホテルにランクされる美しい建物」(『ジャパン・クロニクル』弓倉恒男訳)とまでたたえられていたが、惜しいことに、一九五〇年火災のため焼失し、現在はその跡地に、神戸外国倶楽部が建っている。旧居留地から山手へ向かう坂道、トアロードはトア・ホテルへ向かう道というところからその名がつけられている(『トアロード物語』弓倉恒男)。
 トアロードの一筋西の坂道、旧収容所からメリケン波止場へ下る「移住坂」は、戦前の移住者が徒歩で乗船地に向かった道路である。『蒼氓』では、重症トラホームのため渡航を断わられた秋田県出身の男が、故郷に帰るため「妻と五人の子供達を連れて、行李を担いで風呂敷包みを提げてぬかるみの坂道を黒い一群の影のようにみすぼらしくなって下りて行く姿」と、「彼等の後からフランス人の若い娘が赤いスカアトを見せて、男と腕を組んで、相合傘で歩いて行く姿」が対照的に描かれている。

■移住坂 神戸と海外移住(1)=履きなれない靴で=収容所(当時)から埠頭へ

■移住坂 神戸と海外移住(2)=岸壁は涙、涙の家族=万歳絶叫、学友見送る学生達

■移住坂 神戸と海外移住(3)=はしけで笠戸丸に乗船=大きな岸壁なかったので

■移住坂 神戸と海外移住(4)=国立移民収容所の業務開始で=移民宿の経営深刻に

■移住坂 神戸と海外移住(5)=温く受け入れた神戸市民=「移民さん」身近な存在 

■移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」

■移住坂 神戸と海外移住(7)=移民宿から収容所へ=開所日、乗用車で乗りつけた

■移住坂 神戸と海外移住(8)=憎まれ役だった医官=食堂は火事場のような騒ぎ

■移住坂 神戸と海外移住(9)=予防注射は嫌われたが=熱心だったポ語の勉強

■移住坂 神戸と海外移住(10)=渡航費は大人200円28年=乗船前夜、慰安の映画会

■移住坂 神戸と海外移住(11)=収容所第1期生の旅立ち=2キロを700人の隊列

■移住坂 神戸と海外移住(12)=たびたび変った名称=収容所、歴史とともに

■移住坂 神戸と海外移住(13)=01年乗船記念碑が完成=留学生、就労者ら見学に

■移住坂 神戸と海外移住(終)=旧移民収容所を活用=海外日系人会館建設へ