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移住坂 神戸と海外移住(7)=移民宿から収容所へ=開所日、乗用車で乗りつけた

6月27日(金)

 七十七歳の老婆や洋行気取りの若夫婦 五百八十一名が押しかけた国立移民収容所 店開きの好況」、一九二八年三月十日午前九時に開所した移民収容所を報道した「神戸又新日報」(三月十一日号)の見出しである。
 日本全国から神戸に集まってきた移住者の最年長は高知県出身の七十七歳の婦人、最年少は生後三ヶ月の乳児で、家族移住者は五百五十四名。うち単身移住者は二十七名で、全員沖縄出身である。宿泊費、食費はすべて無料という国立の移住奨励施設の歴史的な開業である。
 せっかく収容所までたどり着いたのに、岐阜県出身の家族十三名と愛知県出身の家族十七名は、入所前の健康診断で夫人がトラホームと診断され入所を断られた。
 この日から、収容所を舞台に展開される悲喜こもごもの人間模様を同紙は「国立移民収容所の一週間」として連載している。初代所長の兵庫県衛生課長・岡田良一技師のもと、医官・長峰昇氏、属官四名、雇員七名、医官補二名、薬局員一名、看護婦二名、教養係四名の体制でスタートした。長峰医官はのちに「注射をする怖いおじさん」として子供たちに恐れられる悪役となる。
 第一日目はあいにく雨だった。迎える所員は「雨の中を子供連れ、荷物を担いであの坂道はさぞかし辛かろう」と心配したが、それは杞憂であった。なんと予想に反して、移住者はいずれも堂々と自動車で乗り込んできたのだ。「シガーの煙を輪にふき 美女携帯の青年紳士 洋行気取りで自動車の横付け」(上記紙 三月十二日号見出し)。
 当時は、都会でも一般庶民は乗用車などとまったく無縁な生活をしており、ましてや農村出身者が圧倒的に多かった移住者が車で乗り付けるなどと想像もしていなかったのだ。いったい移住者はどこから車にのったのか。
 もよりの三ノ宮駅からか。いや、そうではない。実は移住者は数日前から海岸通などの移民宿に宿泊しており、そこから移民会社手配の車で収容所に乗り込んできたのだ。移民宿から収容所までせいぜい二キロ、徒歩で三十分の距離だ。体力自慢の農村出身者にはほんのひと歩きの距離だ。
 それでは、なぜ移住者は移民宿に泊まっていたのか。その理由は当時の国内交通事情にある。当時は新幹線も飛行機もない。老人、乳幼児をつれ、大きな荷物を抱えた大家族の移住者、蒸気機関車牽引の列車、内航蒸気船などを乗り継いでの神戸までの長旅だ。万一、神戸到着が遅れ、入所日に間に合わなければ、せっかくの移住はご破算になってしまう。移住者は早めに神戸に到着し、移民宿で収容所の開所を待っていたのだ。
 車は移民会社が手配した。一生に一度の晴れ舞台の海外渡航、移住者は意気揚揚と一張羅の晴れ着で車に乗り込んだ。用車の経費は、渡航費、移民宿宿泊費などとともに、移民会社が立て替え、後日移住者負担で精算したことはいうまでもない。移住者にとっても収容所に入ってしまえば、食費も滞在費も一切無料になるので、気分的にも楽だったのだろう。
 部屋割りは一室十二人ずつで五十室だった。見ず知らずの人と相部屋である。行李から取り出された目覚し時計が鳴り、赤ん坊が泣くそばで、初めてベッドにあがったうれしさから飛び廻る子供を激しく叱る母親。子供たちはすぐに仲良しになった。雨なので外では遊べない。二階で女の子が鬼ごっこすれば、三回では男の子がキャッチボールし、マラソンが始まり、廊下が急に賑やかになった。いよいよ収容所生活のスタートだ。

■移住坂 神戸と海外移住(1)=履きなれない靴で=収容所(当時)から埠頭へ

■移住坂 神戸と海外移住(2)=岸壁は涙、涙の家族=万歳絶叫、学友見送る学生達

■移住坂 神戸と海外移住(3)=はしけで笠戸丸に乗船=大きな岸壁なかったので

■移住坂 神戸と海外移住(4)=国立移民収容所の業務開始で=移民宿の経営深刻に

■移住坂 神戸と海外移住(5)=温く受け入れた神戸市民=「移民さん」身近な存在 

■移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」

■移住坂 神戸と海外移住(7)=移民宿から収容所へ=開所日、乗用車で乗りつけた

■移住坂 神戸と海外移住(8)=憎まれ役だった医官=食堂は火事場のような騒ぎ

■移住坂 神戸と海外移住(9)=予防注射は嫌われたが=熱心だったポ語の勉強

■移住坂 神戸と海外移住(10)=渡航費は大人200円28年=乗船前夜、慰安の映画会

■移住坂 神戸と海外移住(11)=収容所第1期生の旅立ち=2キロを700人の隊列

■移住坂 神戸と海外移住(12)=たびたび変った名称=収容所、歴史とともに

■移住坂 神戸と海外移住(13)=01年乗船記念碑が完成=留学生、就労者ら見学に

■移住坂 神戸と海外移住(終)=旧移民収容所を活用=海外日系人会館建設へ