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カルドーゾ前大統領=「常に進歩的思考を」=社会学者として復活=フォーリャ紙がインタビュー

7月1日(火)

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙】八年間にわたって背負っていた重責から解放されてまもなく、フェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ前大統領(七一)は社会学者として活動を再開した。九三年に主張したとされ、本人は否定を続けている、「私が書いたことが忘れられている」という言葉とは逆に、前大統領は自身の著書にかぶったほこりを掃うよう命じた。六二年に発行された処女作、『ブラジル南部の資本主義と奴隷制度』が主要著書再版の第一号となる。フォーリャ紙は前大統領にインタビューを行った。

 フォーリャ紙(以下=フ)「『…奴隷制度』ではブラジル奴隷制度の特徴の一つは社会の中に米国のそれのような亀裂を作らず、亀裂がないことが疎外された人々の支えとなっているとありますが、あなたは新たな国際秩序に直面する現在、こうしたブラジルの傾向を賞賛なさいました。我々は結局和解精神の恩恵を得るのでしょうか」。
 カルドーゾ前大統領(以下=カ)「そう思う。今日の世界は小さな亀裂を多く生んでいる。ルーラ政権が今何に取り組むべきか話すだろうから、現在の課題には触れたくない(笑)。構成員全員が一日中和解を悪く言う、亀裂のない世界では和解がすでに存在することを認めなければならない。和解が何らかの前向きな変更を受け入れるなら、それは意味深いものとなりうる。我々の文化モデルは数千に及ぶ理由から、他者、多様性を次々に受け入れ、それと交渉する傾向を育ててきた。それは評価するべきだと思う」。
 フ「あなたはいつも自分の著作に注意を払わず、改訂を一度も行わず、再版も考えなかったと言われています。またとてもうぬぼれが強いとも言われていますが、著作を自慢しませんでした。どうしてですか」
 カ「私がうぬぼれ屋というのは作り事だ。人は私がうぬぼれ屋だと言い続けている。私はその一人と言えるかもしれない。人は自分の正体を決して認めないものだ。しかし、私は自分の著作を自慢する人間ではない。どこで何を出版したかは覚えていない。先日、私の記事が発表されたが、見もしなかった。どこを見て私がうぬぼれていると言うのかわからない。妻は私の着こなしが悪いといつも文句を言うが、私が好むのは知的議論だ。政治の世界で私が攻撃的でないのは知的計算からかもしれない。何かを擁護する時に私は情熱を持つ。プライドのある知識人はみんな自分の著作を擁護する。いや、著作ではなく、自分の考えをだ」。
 フ「あなたは知識人として政治の世界にいることを常に問題としましたが、御自身の履歴を振り返ると、政治はいつもあなたの人生の一部でした。あなたの好きな著者の一人、マックスウェーバーの有名な著作に「職業としての学問」、「職業としての政治」がありますが、あなたの中でどちらのウェートが大きいのですか」。
 カ「困った質問だな。両者の間を行ったり来たりするやからもいる。知識人、政治家のどちらも辞めたことがない。大統領だった時も政治から距離を置き、政治の背後にあるものを理解しようとした。ある時には生きがいとなっていただろうが、政治の世界にどっぷり浸り、政治の嵐に巻き込まれないようにした」。
 フ「あなたは現在の課題には触れないと言われましたが、ルーラ政権をどう評価なさるか伺いたいのですが」。
 カ「ルーラ大統領は保守主義の左派がいると述べた。それは私がずいぶん前から言ってきたことだ。それを言うと、「ああ、じゃルーラは右派なんだ」と人は言う。ルーラは右派なのか。ちがう。もっと進歩的思考で現在の課題に取り組んでいるのだ。私は常に進歩的思考を行ってきた。その意味で私は左派だ」。
 フ「PSDB(ブラジル民主社会党)は六月に十五周年を迎えましたが、もう成熟した政党になったのでしょうか。それともまだひよっこなのでしょうか」。
 カ「ブラジルの政党はすべて青年期にある。欠陥があるからそうなのではなく、激動期を生き抜いているからだ。右派か左派か、変革するのかしないのかという考えは多くを語る。変革するという意味でPSDBは明らかに左派政党で、党員は社会正義を最大限に尊重する進歩主義者だ。労働者党(PT)全体がそうかは、わからない。変革を分類基準とすると、労働者党員の一部は保守主義者だ。ブラジルには右派左派の分類にちょっとした混乱がある」。