7月1日(火)
四日目になると、取材の神戸又新日報の記者も慣れてきた。この日、収容所出口に「外出禁止」と書いた立て札が掲げられた。無断外泊者が多かったためだ。外出できなくなった若者たちは、時間を持て余し、夜遅くまで笛や尺八を吹いている。
洋式便所の使い方がわからず、前後反対に使用し「ズボンをすべて脱がなければ用を果たせない」と文句をいう人がいて、所員が「宿屋商売って難しいものだ」とこぼす。
ブラジル語の講習が始まった。今度は人の集まりがきわめてよい。「ブラジルは礼儀正しい国と聞かされているので、挨拶ぐらい知っていなければ日本男児の威厳にかかわる」と移住者は熱心に勉強をする。「アー、ベー、セー、デー」の大合唱が所内に響き渡る。五日目の朝、「ボンデア」「ボンデア」のあいさつが、廊下のいたるところで交わされていた。
「記者がうっかり移民君の足を踏んだので『失敬』と言ったら『ノアデケエー』(どういたしまして)とやられた。早くもブラジル語が使ひ出されたのである」と記者は驚く。
「代表者会議」が開かれた。各府県から一人ずつ選ばれた代表者十三人が渡航心得の説明を受ける。まず移民会社・海外興業の森島さんが荷物のまとめ方を説明する。「ブラジルに着くまで要らないもの」は赤札、「船内で時々必要があるもの」は青札をつけて会社へ預け、身の回り品は各自で持参するように、絹織物や薬品は必要最小限のみ持っていくこと、サンパウロの収容所は設備が悪いので、布団や毛布の用意必要、荷物の中にマッチを入れておくと火災の恐れがある、ケープタウンでは、猛烈な排日運動が起こっているので上陸しないほうがよい、お金は「為替の変動などでややこしいから」移民会社である海外興業が現地に到着するまで預かる、など実に細かいところまで注意をする。
次いで、大阪商船の武山さんが移民船内の注意事項として「インド洋を渡るときは暑いので子供のため『てんかふん』の用意」を、船中では水が一番大切であるので濫用は慎んでほしい、おしめ洗いにはとくに注意、「細君の寝巻き姿はともすれば風紀を乱すもとになるのでご注意ありたい」、「船中での下駄履きはやめてほしい」など。
六日目の午前中は、二回目のチフス予防注射だ。これで種痘一回とチフス予防注射二回の計三度目の注射だ。一回目の予防注射のあと発熱した人もおり、みんな嫌がって部屋から出ない。特に子供たちは「怖いおっちゃんにまた針を刺される」と母親のひざにしがみついて離れようとしない。
所員がなだめすかし、狩り出そうとするが、いうことを聞かないので、「注射をせねば船に乗せぬ」と脅かしたら、「しぶしぶながら『屠所に引かれる牛の歩みのやうに』ぞろぞろ廊下を先を譲り合いながら注射室へ向かった」。
■移住坂 神戸と海外移住(1)=履きなれない靴で=収容所(当時)から埠頭へ
■移住坂 神戸と海外移住(2)=岸壁は涙、涙の家族=万歳絶叫、学友見送る学生達
■移住坂 神戸と海外移住(3)=はしけで笠戸丸に乗船=大きな岸壁なかったので
■移住坂 神戸と海外移住(4)=国立移民収容所の業務開始で=移民宿の経営深刻に
■移住坂 神戸と海外移住(5)=温く受け入れた神戸市民=「移民さん」身近な存在
■移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」
■移住坂 神戸と海外移住(7)=移民宿から収容所へ=開所日、乗用車で乗りつけた
■移住坂 神戸と海外移住(8)=憎まれ役だった医官=食堂は火事場のような騒ぎ
■移住坂 神戸と海外移住(9)=予防注射は嫌われたが=熱心だったポ語の勉強
■移住坂 神戸と海外移住(10)=渡航費は大人200円28年=乗船前夜、慰安の映画会
■移住坂 神戸と海外移住(11)=収容所第1期生の旅立ち=2キロを700人の隊列
■移住坂 神戸と海外移住(12)=たびたび変った名称=収容所、歴史とともに