7月2日(水)
神戸又新日報の収容所レポートは続く。六日目の午後、海外興業の社員が収容所に来て渡航費の精算をした。同社の手配で入所前に移民宿に滞在していた移住者の宿代、雑費が細かく算盤ではじかれて家長に請求される。
渡航費は、移住申し込み時支払済みの保証金五円を含めて大人二百円、十二歳以下七歳まで百円、七歳以下三歳まで五十円、三歳以下無料である。
移民会社は、切符の手配など一切の手続きを代行する。既に全員の素行証明書、健康証明、写真、旅券をそろえて、ブラジル領事館に手続きを申請してあったので、査証も無事受けた。「さあこれでいけるぞ」と一同おおいに意気込む。
夜は慰安の映画会である。「移民が神戸を出発する日」という映画では、移住者は、映画の主人公と、出発を一~二日後に控えた自分の姿を重ね合わせ、拍手喝采を送った。次の「輸送船サントス港入港」では、ブラジルの収容所や食堂が写ると「こっちの方がええな」などささやく声が聞こえる。三番目の「コーヒー園の生活状態」では、コーヒーの実をちぎって袋に詰める作業を見て「血を沸かせ肉を躍らせているやうに激しい拍手が勃発」した。四番目の「独立の生活」では「悠長な日常生活を眺め平和な楽園の朝にあこがれをはせる」。最後に上映された「車夫の子」を主人公とした映画「運動会の日」では、「貧と涙と愛」のストーリーに「皆一様に涙をしぼった」。
出発を明日に控えた六日目、移住者は乗船準備に忙しい。「収容所前にズラリと店を並べた靴屋さんも『今日は仕事になるよ』と、うららかな春光を浴びて針を運ばせながら微笑んだ」。家長会議で船室の割り当ても決まり、後は時のくるのを待つばかり。
午後、東京・上智大学教授で「ローマ法王特派、移民保護代表」のへルマン・ホイフェルス師が「ブラジルの宗教について」一時間の講演をした。移住者は話の中身よりも「鴻毛碧眼」のヘルマン氏が流暢な日本語を話したことに驚いた。西洋人の話は英語に決まっていると思い込んでいたからだ。
中嶋講師の最後の講話「ブラジルにおける本邦児童の教育」は移住者をおおいに喜ばせた。「『ブラジルは、国際私法による属地主義である。すなわちブラジルで生まれた子供は皆ブラジル国籍に入る。したがってどんな出世もできるのだ。ドイツやイタリーの移民のうちには既に上院、下院議員に当選しているものも少なくない。諸君も子弟に完全なるブラジル式教育を施し、進んでブラジルの学校に学び、大いに我が国威を発揚されんことを祈る』と結ぶや、彼らの目は希望と光明に燃えた」。
あすは出発日、朝が早いので午後八時半に点呼を取ったところ二名の姿が見えない。十二時を過ぎても帰ってこない。結局、この二人「十九男と二十四女の 恋の道行きで大団円 出発間際に紛れ込んで涼しい顔」(神戸又新日報一九二八年三月十九日)、と派手に新聞の見出しを飾る羽目になった。
■移住坂 神戸と海外移住(1)=履きなれない靴で=収容所(当時)から埠頭へ
■移住坂 神戸と海外移住(2)=岸壁は涙、涙の家族=万歳絶叫、学友見送る学生達
■移住坂 神戸と海外移住(3)=はしけで笠戸丸に乗船=大きな岸壁なかったので
■移住坂 神戸と海外移住(4)=国立移民収容所の業務開始で=移民宿の経営深刻に
■移住坂 神戸と海外移住(5)=温く受け入れた神戸市民=「移民さん」身近な存在
■移住坂 神戸と海外移住(6)=収容所と対象的な建物=上流階級の「トア・ホテル」
■移住坂 神戸と海外移住(7)=移民宿から収容所へ=開所日、乗用車で乗りつけた
■移住坂 神戸と海外移住(8)=憎まれ役だった医官=食堂は火事場のような騒ぎ