7月2日(水)
現在「らぷらた報知」の発行日は火、木、土の週三回(四頁で西版は木に二頁)。日本語編集部は高木さんを含め三人、製作や営業部も含め、十数人がアルゼンチンでの日本語新聞の最後の砦を守り続けている。
在亜日系社会は約三万人。一世の数はかなり少ないと言われるなかでの発行部数約二千はかなりの健闘振りといえるだろう。
「日系社会内のコミュニケーションには邦字新聞はやはり、不可欠ですよ」と高木さん。
戦後あった「パンアメリカン」「亜国日報」が相次いで廃刊するなか、「らぷらた報知」はどう生き抜いてきたのかー。
「デカセギブームの時がやはり一番きつかった」
購読者も社員もアルゼンチンを離れるなか、「デカセギで残された主婦たちに手伝ってもらおう」と時代を逆手に取り、パートタイム制を取り入れた。
社内にコンピュータを導入した時も、会社で先生を雇い、主婦たちに講習を受けさせた。今でも製作のコンピュータ部門を担当する四人は、全て女性だ。
「みんなに覚えてもらうまでに、一年以上かかったから、コンピュータ化は遅れましたけどね。でも、まだ頑張ってもらってますよ」
高木さんは「二十年前から、『もう潰れる』といっているけど、まだ大丈夫」と話し、「これから西語を強化していきたい」という。
アルゼンチン唯一の邦字紙の灯を消さないためには、日系人だけを対象にするのではなく、広くアルゼンチン人も視野に入れた新聞作りが必要ー。
「実際、日本文化に興味のある人からの問い合わせや購読申し込みもある」が、やはり日系社会の記事などが多いため、需要と供給が折り合わない状況だという。
邦字新聞が大幅にシフトチェンジを図るのは、大きな仕事といえるがー。
「若い時、易者に『お前は長生きする』と言われたから、まだまだやれるでしょう」と笑う高木編集長のこれからの活躍と「らぷらた報知」のさらなる発展を期待したい。
(おわり 堀江剛史記者)
■本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―1―アルゼンチンの仙人=人里離れて40年=75歳の広島県人=人生の切ない終着駅
■本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―2―同朋救済や移民史編纂=在亜日系団体連合会=日系社会の調整役
■本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―3―市民の憩いの場 日本庭園=積極的にイベント開催
■本紙記者がのぞいた=亜国日系社会は今―4―アナウンサー・俳優・編集長=三足のわらじ 高木さん=健啖と饒舌は老いを知らず