アリアンサ移住地が日本の「歴史書」に長野県人だけで固まった『ブラジル信濃村』と断定されているという。その《長野県の歴史》(山川出版社)を俎上に載せた劇作家・木村快さんの本紙への寄稿(六月十四日付)は、当地の有識者を苛立たせた。早速にアリアンサの重鎮・新津英三(稚鴎)さんが史実を踏まえて真情を吐露しているし明日の「ぷらっさ」欄には弓場農場の矢崎正勝さんが投稿、「正確な記述を」と訴える▼《長野県の歴史》の内容にアリアンサ移住地の人々が受けた衝撃波は計り知れないものがある。日本側に対し机上で事を運ばせず、担当者を当地に送り、検証するよう促したい。本質を究めるため現地の声も聞き真実を追い求める姿勢をみせてほしいのである▼一九二四年に誕生したアリアンサ移住地は信州人だけが郷党的親睦思想を核としてつくられたものではない。いくつかの県人が船の到着順に土地を分譲、入植していく方法がとられた。そのどこに排他的な思想がみられるのか。不思議でならぬ。最初から現地事情に合わせて「自治と協同」の旗印を掲げ運営されてきたのが同移住地である▼アリアンサには信濃村もあれば、富山村、鳥取村もある。但し「信濃村」を満蒙開拓移民や義勇軍と短絡に結びつけ、他民族を排除する建設思想――などとされては迷惑千万な話だ。そのような〃思想〃が基軸であったら移住地は一日たりとも持たない。出発点から移住地づくりの次元が異なる。 (田)
03/07/02