7月9日(水)
二十六、七日の両日、リベルダーデで開催される第二十五回サンパウロ仙台七夕祭りに向け、主催の宮城県人会(中沢宏一会長)では急ピッチで準備を進められている。
ブラジルでは冬の風物詩、七夕祭り。「ブラジルにおける仙台七夕―二十年のあゆみ」(一九九八、同県人会発行)をみると、当時の開催地としてサンパウロ州外で十二カ所、サンパウロ州内では十六都市の名が挙っている。いまでは六月祭(フェスタ・ジュニーナ)に続く祭り「タナバタ」もすっかり異国に根付いた感がある。先月末から今月にかけて、クリチーバ、リベイロン・プレットといった地方都市でも盛大に開かれたばかりだ。
「毎年短冊に願い事をする夫婦がいて、いつもあいさつに来る」
小関アントニオさん(五六)は県人会の製作コーディネーターとして働いて二十年。「出会ったとき、二人は恋人でした。それが七夕で結婚を願い成就。次は仕事を得て、子宝にも恵まれたと報告を受けました」
県人会では毎年、平和、希望、愛といった願い事別に色が別れた短冊を六種類用意している。昨年は三万枚以上売れた。売れ筋の定番は「希望の緑」だ。
吹き流しなど飾りの製作作業は四月から始まった。毎日午前八時から午後四時まで、七、八十代の女性十五人ほどが取り組む。
街に立てられる竹は八十五本ほど。その一本一本に牽引星と織姫、そして織姫の父・天帝を祭る飾りが付けられる。日本語学校の生徒や各地区の婦人部が競って作る〃替わり種〃の飾りも当日の見所だ。
二十五年前、第一回目のときには宮城県から指導員が来伯。材料の一部も輸入に頼った。現在は吹き流し用の紙も現地生産している。着色に手間がかかるため、「いまから来年の分の注文をしなければいけない」と小関さんはせわしなさそう。
昨年は二十五万人を動員。おなじみのミス七夕コンクールや、「七夕」を題に据えた俳句や短歌大会など、年々盛り上がりを増してきた。
ただ、心配の種が一つ。それは飾りを作るボランティアがみんな老齢に達していることだ。小関さんは「県費留学生が帰国後、故郷の文化に興味を持って手伝ってくれると助かるのですが」と打ち明ける。
振り返れば四半世紀も続いたリベルダーデの七夕祭り。未来の継続が次世代の肩にかかっているのは確かだ。