7月26日(土)
日伯議員連盟(三塚博会長)を代表して、戦後移住五十周年記念式典に出席する後藤博子参議(自民党)が二十六日、着聖する。一九八一年から三年間、マナウスに工業移住した経験を持つ後藤参議は、このほどニッケイ新聞社の取材に応じた。
来伯の経緯は――
昨年十二月に海外日系人協会の大会に招待された後、歌手の井上祐見さんや高木ラウルニッケイ新聞社長と自民党の女性機関誌上で対談。戦後移住五十周年記念式典の話を聞かさせていただいたのが、きっかけです。
マナウスでの生活や日系社会への思いは――
海外生活が初めてだった上に、日本から最も遠い国、しかも熱帯のアマゾンでの生活は想像も付かないことばかりでした。到着後は、言葉も分からないので毎日ランショネッテで、ハンバーガーばかり食べていました。カルチャーショックで、「日本に帰りたい」と思ったこともあります。しかし、マナウスの日系社会の皆さんは「新しい日本人が来た」と喜んで受け入れて下さいました。アマゾン周辺に入植された日系移民の皆様の苦労は想像を絶するものだったと思います。日本への思いを馳せながら、経済大国日本が失った日本の文化を、ブラジルの日系人が守っているのには感動しました。
ブラジルでの移住経験がどのように政治活動に生きているか――
「日本人の誇り」を自覚させてくれたのが、ブラジルでの生活です。親や兄弟、親戚などが身近にいない生活を通して、家族のあり方や家族への想いを育みました。日本では家族や家庭の崩壊が社会問題になっています。核家族化が進み、高齢化と少子化で日本の将来に悲観している若者が増えているのは、由々しき問題です。
今後の日伯関係をどう見ているか――
ブラジルでは数多くの日系人が、そして日本でも大勢の日系人が働いています。「生活者の目線」を持ちながら国会議員になった私は、日伯関係も新しい視点でとらえ、同じ民族を持っているブラジルが「近くて頼もしい」日本のパートナーになるように期待しています。