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ありがとうブラジル=戦後移住50周年記念式典=日伯知事らが賞賛=「日系抜きにサンパウロ州なし」

7月29日(火)

 ブラジル戦後移住五十周年記念式典が二十六日午前十時、サンパウロ州議会モヌメンタル・ホールで、『ありがとうブラジル』をテーマに開催された。式典には約六百人が参加。サンパウロ州のアウキミン知事や、広島、高知、宮城、岩手各県の知事と福岡、兵庫両県の副知事も出席。同州の行政分野で活躍する政治家、官僚の姿も目立った。ルーラ大統領の代理として出席が期待された具志堅ルイス大統領府広報局長官は病気を理由に欠席した。

 移住坂登ぼれば、神戸の町並み 海の向こうは…… 幕開け、井上祐見さんの歌う式典テーマ曲『Sou Japonesa』に緊張の糸が一気にほぐれたか、中沢宏一委員長はまぶたをぬぐい、「日本からの来賓三百人がブラジルを見てくれることは移住者としてうれしい」とあいさつ。「戦後移住の経緯とわれわれを受け入れてくれたブラジルへの感謝を伝えていくべきだと認識している」などと式典の意義を強調した。
 池田維・駐ブラジル大使は五三年アマゾン・パリンチンスに入植したジュート栽培者や、五五年から始まったコチア青年など戦後移住の歴史に言及し、「日伯関係の発展に貢献した皆様に感謝します」と労をねぎらった。
 これを受けたアルキミン知事は「日系人抜きにいまのサンパウロ州はない」と認め、州刑務所管理局の古川長(ナガシ)長官らの名前を挙げ、式典に参列していた日系の政治家や官僚を立席させて紹介した。
 州知事はまた、先週『ヴェージャ』誌が特集した「スシの勝利」の記事を取上げ、「サンパウロ市はかつてシュラスコの都だったが現在はスシの都だ」と言い切り、その存在感を称えた。
 日本からの来賓のうち、初めにあいさつした広島県の藤田雄山知事は「わたしたちの訪問を契機に日伯交流促進のきっかけになれば」。岩手県の増田寛也知事は「農業だけでなく社会全体の発展に貢献した戦後移住者に対し敬意を表したい」と述べた。
 NHK記者としても来伯経験のある高知県の橋本大二郎知事は「この二十年でブラジルもずいぶん様変わりした。県で受け入れている留学生たちも今後、国の発展の一翼を担ってくれるはず」とアウキミン州知事と固い握手を交わした。
 「浅野史郎、五十五歳がやってきました!」。威勢よく飛び出したのは宮城県知事。開催中のサンパウロ仙台七夕祭りにふれ「笹の葉さらさら・・・」と、自慢のノドを披露。会場の笑いを誘った知事は「日本の文化が入ってきたことでブラジルの文化が変わってきているのは素晴らしいこと」との感慨を表明した。
 日伯議員連盟会長・三塚博衆議の代わりに出席した後藤博子参議は「ボン・ジア、ボア・タルジ、コモ・ヴァイ・・・」と、かつてマナウス在住時代に覚えたというポルトガル語を披露した。「移住経験のある議員はわたしだけ」。そうアピールし、三塚衆議のメッセージを代読した。
 「ミナサマ、オメデトウゴサイマス」「一世ノミナサマ、ゴ苦労サマデシタ」と日本語で祝辞を述べたサンパウロ州議会のシディネイ・ベラウド議長はあいさつの最後で、「ブラジル人と日本人、一つの心。これを五年後に迫る百周年のテーマに提案したい」と話し、盛んな拍手を受けていた。