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広告界の寵児語る 「人生に大きな夢を」=無関心、無責任戒め=「カネの奴隷になるな」

7月31日(木)

 【スセッソ誌】ニザン・ガナエス氏(四五)は、いまや広告業界の寵児。バイア生まれ、十七歳で伯母の店で店員を振り出しに、紆余曲折の人生行路が始まった。過去一年にiGをはじめ、三つの会社を起業した。「おカネの奴隷になると、コソ泥にもなれない」と忠告する同氏に、事業の秘訣を語ってもらった。

 助言は乞われたとき、それを生かせる人にだけする。強いて助言するなら、「おカネの奴隷になるな。自分を高く買え。自分の商売を徹底的に愛せ。おカネの奴隷になると、コソ泥にもなれない」ということ。 
 ナポレオンは、おカネで欧州征服を成し遂げたのではない。ヒトラーは、おカネが欲しくてユダヤ人を殺害したのではない。ミケランジェロは、おカネのためにシスチナ礼拝堂の壁画を描いたのではない。
 なぜ人間は、夢を見ることができないか。人生で行うことは全て、前もって心に描いている夢だ。太平洋の孤島で、ライ病人を看護する尼僧の物語を話そう。ライ病人は尼僧に「おカネをもらって、ライ病人の看護はできない」といった。尼僧は答えていった「私もできない」と。これは貧乏弁護論や清貧昇華論ではなく、おカネに代えられない豊かさを物語っている。
 そこでいう。ブラジルでは多くの人が金持ちになろうともがくが、大部分は満たされず死ぬ。政治的カオスで一般市民の生活水準は、落ち込んでいる。貧乏人は虫ケラ同様。泥棒のオドリコ・パラグアスの優雅な人生は、フィクッションだが今日は現実味がある。
 聖書の箴言だが、イエス・キリストはいった。「熱いか冷たいか、どっちかであれ。熱くもない冷たくもない生ぬるいのは、私は吐き出す」と。ひまは敗北、空虚は恥、勉強不足で失敗のほうが余程良い。悲劇や挫折に関する本や映画は多いが、無気力で現状維持を咎めるものがない。
 自分で人生ドラマの主人公になり、自分の人生に革命を起こそう。転んでも立ち上がり、失敗してもあきらめず戦うこと。それは、セックスや金もうけよりも面白い。私たちはピラミッドを建造し、新大陸を発見するために生まれた。いつも「問題意識」という袋を右手に、「可能」という箱を左手に持って休むことなく歩くことだ。
 人生の評論家になるな。誰にも金持ちで裕福な伯父と何をやってもダメな叔父がいる。ダメなのに限って、下手な説教をする。週末のボテコには自称事業家が集まり、一杯引っかけながら空論の花を咲かせる。月曜日には、何をいったか覚えていない。ブラジルでは、世故に長けた人が勝利者だと思っている。
 日本人に学ぶとよい。炎天の下でエンシャーダを引き黙々と働く日本人を見て、ブラジル人は「おい、ガランチードネ」とからかった。この民族は戦後の廃墟から、世界第二の経済大国を築いた。口先や要領で築いたのでないことは、日本人気質を見れば分かる。
 ブラジルでは働かないで要領よく立ち回り、カネをもうけた人が英雄として崇められる。日本人が刻苦勉励しているとき、ブラジル人は遊んでいた。無関心、無気力、無責任にかまけ、挑戦しなかった。ブラジルに過労死はない。働いて働いて、自分の王国を築こう。モノが動けば、カネも動く。