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グローボグループ マリーニョ会長死去=報道、教育界で活躍=南米最大のメディア構築

8月8日(金)

 【各伯字紙七日】ブラジルのメディア最大手グローボ・グループ会長のロベルト・ピザーニ・マリーニョ氏が六日午後十時三十分、肺塞栓のためリオデジャネイロ市南部ボッタ・フォーゴ区のサマリターノ病院で死去。九十八歳だった。
 同日午前九時三十分ごろ、自宅で肺の不調を訴え、同病院に入院。治療を受けていたが、高齢のため、夜まで危険な状態が続いた。同午後九時三十分、集中治療室(ITU)で血栓線溶手術を受けたが、一時間後に息を引き取った。
 マリーニョ氏の訃報は同日午後十時四十五分ごろ、グローボTV局で報道された。通夜は七日午前十時から、リオ市南部コスメ・ヴェーリョ区の自宅で営まれた。遺体は同午後四時、ボッタ・フォーゴ区サンジョアン・バチスタ墓地に埋葬された。
 マリーニョ氏は七月二十九日、リオの日刊紙「グローボ」創刊七十八周年記念式典に出席したばかりだった。
 ルーラ大統領とロジーニャ・マテウス・リオ州知事は六日、全国およびリオ州で、三日間の喪に服すよう求めた。ルーラ大統領は、「ブラジルは、一生ブラジルを信じ続けた重要人物を失った。ロベルト・マリーニョ氏は、ほぼ一世紀の間、報道と教育、そしてブラジルの未来のために献身した」と弔辞を述べた。
 ロベルト・マリーニョ氏は一九〇四年十二月三日、リオで生まれた。父・イリネウ・マリーニョ氏はジャーナリストで、一九一一年にノイテ紙を創刊。一九二五年にグローボ紙もスタートしたが、創刊後わずか二十一日目に心筋梗塞で死亡した。
 当時、グローボ紙の記者として働いていたロベルト・マリーニョ氏は、同紙をエウリクレス・デ・マットス氏に任せたが、同氏も一九三一年に死去。ロベルト・マリーニョ氏は二十六歳の若さでグローボ紙を継いだ。
 マリーニョ氏は一九四四年にグローボ・ラジオ局を創設。一九五七年、ジュッセリーノ・クビチェッキ政権時に、テレビ放映の許可を得てから、グローボTV局を創設。報道、ドラマ、スポーツなどを幅広く手掛ける南米最大のメディアネットワークに育て上げた。
 グローボ・グループの活躍範囲は現在、テレビ局やラジオ局、リオとサンパウロの新聞、出版社、有線放送など広範囲に及ぶ。一九七七年に創設されたロベルト・マリーニョ財団は、パードレ・アンシエッタ財団(サンパウロ州のクルトゥーラ局)と提携して中等教育(高校)テレビ講座を放映した。
 同氏はまた一九九三年、ブラジル文学アカデミー入会資格者として選ばれた。その一年前に「自由な生き方(直訳)」という本を出版したが、それまで一冊も本を書いたことはなかった。