8月13日(水)
鳴かぬなら、それも良かろう――。この一言に、赤阪清隆サンパウロ総領事はブラジルでの経験を込めた。八日正午からモルンビー・ヒルトン・ホテルで開催されたブラジル日本商工会議所(田中信会頭)の定例昼食会は、普段とは一風変わって送別会となった。約三十分の挨拶中に何度も拍手が湧き、最後には会場に集まった約百十人が総立ちで拍手が送られるなか、総領事は惜しまれながら退席し、次の任地フランス・パリへの一歩を踏み出した。
「二年足らずの短い勤務で当地を去ることは、後ろ髪を引かれる思いがします」と赤阪総領事はブラジル勤務最後の日を惜しむように語る。今後FTA交渉などで会議所の役割の重要性が増す点に触れ、「来年は、久々に、日伯間の政治的な交流が活発化する年になるのでは」と挨拶の中でほのめかす。
「来年の適当な時期にルーラ大統領に日本を公式に訪問してもらおうという話が動いていますし、総領事館では、アウキミン・サンパウロ州知事にもできれば桜の咲く頃に訪日してもらいたいと考えています」と水面下での動きを伝える。続けて「来年には、もっとたくさんの政治家、政府関係者に当地を訪問してもらいたいものです」と展望を述べた。
この二年間の任期の中で生まれた疑問。「我々はいつのまにか、西洋的なものの考え方にすっかり取り付かれてしまったようです。前へ前へと一歩でも進んで、究極的な目標に近づかないと、人間が堕落してしまうという進歩主義的な考え方に染まっていないでしょうか」と投げかける。
ものの考え方を示す例として、織田信長は「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」、豊臣秀吉は「鳴かせてみせよう」、徳川家康は「鳴くまで待とう」がよく引き合いに出される。「私は、昔、ものの考え方はこれで全部かと思っていました」という。ただし、ホトトギスは鳴くもの、という前提に立てば。
「ブラジルに住んでみて、鳴かないホトトギスがいてもいいではないか、鳴かないならそのままそっとしてやって、そのまま受け入れる社会があっても良いと考えるようになりました」としみじみ語る。
「ブラジルはアメリカよりおおらかで、余裕のある自由がある気がします。人種関係もそうですし、経済大国になる潜在的な力が十分あるにも関わらず、余りあせることなく、ゆっくりと進んでいます」と、むしろこの〃ゆったり〃こそ地球環境の保存、持続的経済成長がキーワードの現代には好ましいのだと論ずる。
「いずれ世界の大国になるでしょうが、あせってないというところに、限りないブラジルの魅力を感じました」。信長、秀吉、家康に次ぐ、第四番目のブラジル版人生訓「鳴かぬなら、それも良かろうホトトギス」もありえるのではと強調した。
「大豆畑が地平線まで延々と続くセラード開発の現場を見せてもらった時、この国の大きさを痛感しました」。ブラジル経済はもっと高い成長を実現しうる潜在力をもっており、いずれ発現するだろうとする。
OECD事務局次長という世界経済外交の檜舞台での活躍に、この二年間の経験がどう活かされるのか。「様々な良い思いでと、貴重なホトトギスの人生訓を得て、サンパウロを後にします」とだけ控え目に語り、その晩、機上の人となった。
■〃おばぁ〃に先立ち来伯=ショーロ・クラブ=意気込み語る
一方、公演に先立って十二日、〝おばぁ〟と共演するショーロ・クラブのメンバーが来伯、舞台への意気込みを語った。
ショーロ・クラブは笹子重治さん(四五、ギター)、秋岡欧さん(四五、バンドリン)、沢田穣治さん(四八、コントラバス)が八九年に結成。これまでにNHK大河ドラマ「花の乱」、同朝の連続小説「あすか」、同スペシャル「激動 地中海世界」シリーズなど数々のテーマ曲を手懸けた。九五年にはサンパウロ、リオ、ベレーンの各都市で音楽ショーを行った。
通常は個人での活動が主だが、今回、クラブとして六回目の来伯。〝おばぁ〟との舞台では単独ライブもあり、沖縄民謡「てぃんさぐの花」をアレンジした曲を披露する。
公演に向けて、笹子さんは「とみさんの語りとの絡み合いを、是非、見にきてください」と意欲満々。秋岡さんは「サンパウロは日本の文化が濃い。東京から来て、ショーロをしている僕らをどう見ているのか、逆に興味がある」と語った。
公演日程は十六日文協、十七日沖縄県人会でいずれも午後三時から。入場料は二十レアル。
入場券はニッケイ新聞社(電話・11・3208・3977)、文協(3208・1705)、沖縄県人会(3106・8823)、明石屋宝石商会(3208・1833)で好評発売中。