8月14日(木)
今年は日本移民九十五周年の節目の年。一世紀近くの日系コロニア史を振り返ると、苦難を強いられた体験と同時に、生活に潤いを与えてくれた各地の郷土芸能が思い出される。先人たちは歌や踊りを通して、知恵を出し合い、時には意見を激しく戦わせながら、結束を固め、かけがえのない人間関係を築いたのではないだろうか。ブラジルに根付いた日本各地の郷土芸能を、沖縄県の「琉球国祭り太鼓」を皮切りに九回シリーズで紹介する。
迎恩
広く世界をかけめぐり、そして他国の人々に感謝の気持ちを迎え示す意味の「迎恩」。豊穣は海の向こうからやって来るという信仰を持つ島国・琉球(沖縄)ならではの心情といえる。この「迎恩」を基本理念に八一年、沖縄市(泡瀬)の青年らが伝統芸能のエイサーをベースに空手の型を取り入れた琉球国祭り太鼓を生んだ。パーランクー、大太鼓、締太鼓の三種の太鼓を使用、ダイナミックなバチさばきと指笛、ハヤシが入り交じる躍動感あふれる演奏が特徴だ。
現在、日本国内のほか、アメリカ、ハワイ、ボリビア、アルゼンチン、ペルー、そしてブラジルにも支部があり、メンバーも総勢千人余り。九八年、長野オリンピックや南米移住九十周年祭(アルゼンチン)でも披露、世界を視野に入れ活動展開している。
ウチナー(沖縄)の心
ブラジルでは九三年頃、浦崎直秀さん(七三)がカロン日本語学校のイベントの際、余興として十五人を集めて光史太鼓を発表、その後、琉球国祭り太鼓に取り組んだ。那覇市出身、三十歳で渡伯した浦崎さんは、「(子どもたちに)沖縄を忘れてもらいたくない」と熱心に太鼓を教授する。
現在、メンバーはサンパウロやカンピーナスなどに計百六十人、平均年齢は十七歳。リベルダーデ区トマス・デ・リマ街の沖縄県人会館で毎週火曜日午後七時からの練習では、子どもたちが自ら、後輩を指導し、お互いに技術を高め合っている。
十六歳の時に太鼓を始めたリーダー格の沖縄三世、長浜セーリアさん(二四)は「沖縄の人の心で叩く。(太鼓を叩くと)何か強くなれる感じがする」と話す。セーリアさんの祖父母らが、沖縄について語らなかったため、彼女自身は沖縄の歴史をあまり知らない。昨年七月、琉舞発表のため、初めて沖縄の地を踏んだセーリアさんは「沖縄がもっと好きになった」と笑顔をこぼす。
ビッグ・バン
沖縄四世の照屋清さん(一八)は九八年、琉球国祭り太鼓に入団した。高校を卒業し、現在、日本語と英語の学校に通学。ロックやクラシック、沖縄の音楽を聴き、キーボード演奏が得意という、ごく普通の若者だ。
「自分の文化だから」。清さんが太鼓を始めたきっかけだ。「太鼓を叩いている時、胸がドンドンする。心の中にビッグ・バンがあるみたい」。いつもは穏やかな顔が、演奏中には機敏なニーセー(青年)の表情に変わる。
「太鼓は続けていきたい。でも、家族のことも考えないと」と話す清さん。沖縄にはまだ行ったことがない。「出稼ぎとか何か、日本に行くなら、絶対、沖縄に行きたい」と、はにかむ笑みの後ろに、ウチナーンチュ(沖縄県人)の情熱をのぞかせた。
(門脇さおり記者)
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