8月15日(金)
【フォーリャ・デ・サンパウロ紙、エスタード・デ・サンパウロ紙十四日】大サンパウロ市圏フランコ・ダ・ロッシャ市のフェベン(少年院と少年刑務所の合体した施設)第三十一複合施設で十三日午後に発生した暴動の最中に、ロジェーリオ・ローザ監視官(三二)がベッドのフレームで作られたナイフに刺されて死亡した。ほかに二人の監視官もけがをした。
同監視官は暴動の発生直後に首を刺されたが、手当てを受けるのを収容者たちが妨げたため、四十五分経った後に救急隊員に救助された。しかし病院への搬送途中に死亡した。
暴動によるフェベンの監視官の死亡事件は先月閉鎖された第三十複合施設で二〇〇一年三月にも発生している。射殺された監視官は当時二十七歳で、七カ月間勤務したばかりだった。
同フェベンの暴動は今年に入って十七度目。G号棟に収容された四十四人(うち二十人は十八歳以上)が三人の監視官を人質に取り、暴動は午後四時半に始まった。収容者たちのうち十四人がサッカーをするため中庭に連れて行かれる時にカギを奪い、ほか三十人を解放した。刺されたローザ監視官ともう一人の監視官は、フェベン上層部と消防隊員が収容者たちと交渉した後に釈放された。三人目の監視官が釈放されたのは軍警が午後六時半に突入した後だった。暴動に加わった収容者のうち十八歳以上の二十人は殺人罪で刑務所に移送される予定。
暴動発生の理由をフェベン側はまだ発表していない。同フェベン補佐官によると、ローザ監視官が残虐に殺害された理由も含め、監察局が事件の全容を解明するという。
二人の幼い子(六歳と二歳)の父親だったローザ監視官は今年一月から第三十複合施設で勤務していたが、百人以上の収容者とともに先月第三十一複合施設に移ってきていた。サンパウロ州児童青年検察局で事情徴収された収容者たちによると、同監視官は暴力監視官と呼ばれていた。
第三十、三十一複合施設は今年、同フェベンの中で収容者への悪待遇や拷問の告発を最も多く受けた。年少の収容者たちはほとんどの時間を監房に幽閉されていた。今回の暴動のきっかけとなったスポーツ活動は生活態度が良好な収容者に対して行われていたという。