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日本文化を踊ろう!=―ブラジルに生きる郷土芸能―=第4回=広島県人会=神楽舞への情熱衰えず=高齢化も女性の活躍目立つ

8月20日(水)

 広島県北部の神楽舞は約八百五十年前、島根県石見地方から伝わったとされる。当時、島根と広島の県境に位置する広島県山県郡にあった「たたら製鉄所」で、石見の職人らが地元の若者に教えたのがはじまりだ。備後地方では中国から伝来した神楽が定着したのに対し、石見の神楽舞は安芸地方へと拡大。今では北米やカナダ、欧州各国で遠征公演を行なうほど、本家本元の石見をしのぐ勢いで多くの人に愛され、親しまれている。

 神の舞、ブラジルへ

 ブラジルに神楽舞がやって来たのは六〇年代後半。三十八歳で渡伯した山県郡出身、細川晃央さん(七五)の父・細川吾郎さん(故人)が六九年、留守家族会の訪伯団の一員としてブラジルにやって来た。吾郎さんは、日本からのお土産に神楽舞で使用する鬼面を持参。訪伯団歓迎会の席で、酒の力も手伝ってか、広島県人の井原仁一さん、西本茂さん(両氏とも故人)らが鬼面をつけて神楽を舞った。晃央さんも茶わん、皿を叩いて盛り上がり、その場でブラジル神楽保存会結成の話がまとまった。
 保存会は県人会文化部活動の一環として、十五人を集めてスタート。会長は晃央さん。手持ちの自動車のスプリングで調子金を、醤油樽と牛皮で太鼓を作った。衣裳もすべて手製。県人会婦人部が娘時代の着物や派手目の反物を材料に、丹精込めて作ってくれた。鬼や姫、ひょっとこの面は諸口紙(障子紙)と石膏で作成するなど、情熱があればこそ成し得たのだろう。

 家族一体となって

 十四、五年前から、広島県山県郡加計町の神楽団を中心に多くの団体が、県国際交流課を通して面衣裳や楽器をブラジルに寄贈。日本製の本格的衣裳を身につけ、題目も「八幡」「羅生門」「神の舞」「八岐の大蛇」など七つに増えた。思い出深いブラジル製の神楽道具は、いま、広島の博物館に保存されている。
 「あの頃は家族一体となっていましたよ」。晃央さんは息子、孫の親子三代で、神楽舞に取り組んでいる。多い時は年二十数回の公演があり、マナウスやリオ・ケンテにも出張。これまでに文協主催の世界国際民族舞踊、県連主催の郷土芸能祭に出演したほか、憩の園やイッペーホーム、サントス厚生ホームなど福祉団体への慰問も精力的にこなした。

 後世へ残したい

 しかし、最高で十七人いたメンバーは、逝去や老齢のため、現在は九人しかいない。平均年齢は七十二、三歳。後継者として期待を寄せる晃央さんの孫たちも、学業専念のため練習に参加できないのが実情だ。面を付けながら、時に激しく舞う神楽舞は、相当な体力を使う。若者の力が必要だ。
 「新しい県人会館に、県人だけでなく、その恋人や友達も来て欲しい」と晃央さん。そして、「若者が神楽舞に興味を持ってくれたら」と期待を寄せる。
 「神楽の魅力は、郷愁を満たしてくれるところ」。かつての日本では、神楽舞を女性が演じることはご法度だったが、いまは女性神楽団が活躍するほどになっている。晃央さんは「神楽舞を後世に残したい。女性でも、何県の人でも、誰でも神楽に興味がある人は大歓迎します」と語った。
(門脇さおり記者)

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