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多国籍企業副社長への道=くわ引きから立身

8月28日(木)

 【スセッソ誌】多国籍監査法人DIVEOのアダウベルト・センチネロ副社長は、不遇の後輩を激励して次のようなメッセージを贈った。同氏はサンパウロ州と南麻州境ヴィットリア郡の貧しい農家に生まれ、十四歳までエンシャーダ(くわ)を引き家計を助けた。その年干ばつで作物が全滅、一家は農業をみかぎりジャーレス市へ移った。
 【誰でも不運な時代はある。不運だけを見詰めると、不運のとりこになる】人生最初の職はガソリン・ポストの洗車係。同氏の生い立ちは、底辺の社会疎外者で教育や管理職へのチャンスは皆無であった。
 【人生には学ぶことがたくさんある。時間を大切に】ジャーレスでは小さな家を借り、一家は就職。父は翌年、同氏のために会計事務所にオフィス・ボーイの仕事を探してくれた。管理職の出発点だった。同氏にとって貧乏の惨めさが、身に染みた。いかに極貧から抜け出すか、寝ても覚めても考えた。
 【利益という結果を出して、はじめて仕事といえる。利益が出ないのは遊んでいるのだ】考えた末、解答はプラス・アルファーだった。勤務した七年間の休憩時間に税法、会社法、民法、労働法、会計事務全般と小企業の経営学も門前の小僧のように習得した。
 結婚した姉を頼って、一家はジュンジアイ市へ移転。父はアイデアル・スタンダード社という便器の会社へ夜警として、同氏も工場へ親子で就職した。工員の給料が事務員より不当に安いことを知り、事務所へ転入を目指した。
 ある日、人事課へ会計事務全般と税法、商法、民法、労働法の知識もあるので採用試験を願い出た。試験の結果を見て人事課長は、同氏を係長に抜てきした。
 同氏は昇給され、一家は融資で住宅を購入。同氏も夜学で高校を卒業、ジュンジアイのパドレ・アンシエッタ大学経営学科へ入学。経営学の中では財務が最も難しいのが、同氏を魅了した。そして、財務を生涯の仕事にすることと決めた。
 【目標が定まったら挑戦だ。競争者は多い。一頭地を抜くことが必要】上司に二種類ある。部下の成長の邪魔をするのと、手を貸すのとある。同氏は幸運だった。会社財務に関心があるのなら、英語、監査業務をマスターするよう、上司は助言し紹介状を書いてくれた。大学を卒業した二十六歳、アイデアル・スタンダードを退職した。
 【人生には、損して得取れということもある】上聖してアーネスト&ヤング監査法人に就職したが、初任給はいままでの三〇%に減った。三十歳、英語を完全にマスターするために米国カリフォルニア大学へ留学。ブラジルでの人生も米国も、中途半端になるかも知れない。しかし、計画通り人生をかけることにした。
 キャンパスの清掃夫でアルバイトをしながら三年後、卒業。米国で就職を試み履歴書に監査役志望としたら、友人にばかか狂人だと笑われた。監査役とは、取締役と管理職の中間に位置するせん望の重要職であった。
 【就職は恋愛のように、一人ぼっちだと誰にも相手にされない。相手ができると女の子が次々寄ってくる】希望の地位を求めて数社を遍歴した。自分でも晩成型と思うが、エンシャーダを引いたころを思い出せば夢を実現したのだ。