ホーム | 日系社会ニュース | 7歳で帰国田島さん=62年ぶりに里帰り=父の無念を晴らしに=アリアンサ上げて大歓迎=「母の植えたパイネイラが、今では大人4人が抱える大木に」

7歳で帰国田島さん=62年ぶりに里帰り=父の無念を晴らしに=アリアンサ上げて大歓迎=「母の植えたパイネイラが、今では大人4人が抱える大木に」

8月28日(木)

 第一アリアンサで誕生し、幼少期の七年間を過ごした後、家族と共に帰国した田島幸男さん(六九)。現在は山口県日伯親善協会理事を務めるなど、日伯交流に尽力する。十八日、兄が眠る同地を六十二年ぶりに訪問し、関係者と思い出話に花を咲かせた。十九日に開かれた歓迎式典には、ミランドポリス市のジョルジ・マルーリ市長や蓮池幸雄(第一)佐藤勲(第二)、鳴尾弘毅(第三)各会長を始めとする百五十人を超える関係者が駆けつけ、正にアリアンサを上げた喜びの日となった。

 「父の思いをようやく果たすことができた」。
 感無量の面持ちで、六十二年ぶりに生まれ故郷に戻った感慨を語る田島さん。十六日に行なわれた「こどものその創立四十周年記念式典」に参列した後の訪問となった。
 田島さんの両親、福一さんとトミコさんは一九二六年に来伯、第一アリアンサに入植。コーヒー三千五百株をもとに、十七年間、ブラジルの大地と格闘した。
 その間に幸男さんを含む五人の子供に恵まれたが、長男の近蔵さんは、一年三カ月で、この世を去った。
 帰国してからも福一さんは幼くして逝った近蔵さんのことが気掛かりであったらしく、七八年に亡くなる直前には病床から「一緒にブラジルを訪れ、墓参りをしよう」と田島さんに語っていたという。
 果たされなかった父の思いを田島さんは常に胸に抱き続けてきた。九八年に来伯した際にも、同地訪問の機会はなかっただけに、今回の喜びはひとしおだ。
 移住地総出で里帰りを祝った歓迎式典では、田島さんが持参した地元山口の地酒「毛利公」一樽も振る舞われた。日本語学校の生徒たちによるコーラスなども披露され、会場は歓喜の声に包まれた。  
 蓮池会長は「親戚も山口県人もいないここを忘れずに、よく帰ってきてくれた。このようなことは今までの歴史になかった」と興奮した面持ちで語った。
 田島さんは十九日に、生家のあった場所の隣に住んでいる竹原由嬉雄さん宅で一夜を過ごし、当時の思いで話に花を咲かせた。
 「忘れていたけど昔、ブランコに乗って遊んでいたことなんかを思い出した。母が植えたパイネイラの木が今では大人四人が抱えるほどの大木に成長していてねえ」と六十二年という時の流れを感じつつ、よみがえった当時の思い出にひたったようだ。
 「残念だったのは五年前に来伯した時に来ていれば、当時のことを覚えている人がまだいらっしゃったということです」と残念そうな表情をみせながらも、「兄の眠っているであろう場所で冥福を祈った」と父の無念を晴らせたことも手伝ったのか、満足そうだった。 
 心の込もったもてなしを受け、田島さんは「来年の第一アリアンサ入植八十周年には、ぜひ機会を作って戻ってきたい」と笑顔で語っていた。