9月2日(火)
【エポカ紙】数十年前はガン患者のほとんどが自分のガン体験を語る前に亡くなっていた。しかし現在は治療を受けた患者の約七〇%がガンを克服するという。ガンから生還し、またはガンを抱えて生きる新しいタイプの人々は誰も予想しなかったことー生きることーを教え始めた。死は人生の切実さ、はかなさを私たちに思い起こさせるために目の前に現われるのだと。
TVグローボ局の朝の番組『マイス・ヴォセ』の司会者のアナ・マリア・ブラーガさんは〇一年七月に生放送で「ガン宣言」を行った最初のブラジル人だった。肛門ガンを克服したブラーガさんは「もし宣言する勇気がなかったなら、絶対病気に勝てなかったでしょう」と話す。「私が味わってきたつらさを想像したら、(健康な人は)不機嫌なままベッドから出る権利がないことがわかるでしょう」。
九歳の時にガンで片腕を失ったカルロスさん(四三)は建築を学び、もう片方の手で設計を行っている。二度離婚し、二人の子どもといなかの家に住むカルロスさんは、少し前に腫瘍(しゅよう)が肺を侵しつつあることがわかった。「もし治れば、すばらしい。治らなければ病気と上手に付き合い、いつか孫を抱ける日が来ることを祈る。社会的責務をすべて果たさずにもっとありのままに生きるためにガンを利用しようと思う。いつまで生きるかわからない人生を味わい尽くしたい」。
二十七歳の時に最初のガンで睾丸一つを摘出し、〇二年に二度目のガンで胃を摘出した具志堅ルイス広報長官は「この先二年間に何が起こるかには興味がない。自分の将来は案じていない。私にとって大切なことは今自分がしていることに没頭することだ。それは自分のガンと関係がある。苦しんだ経験がエゴの呪縛(じゅばく)から自分を解放することに役立っている。もしガンを患わなければこうした信念を持った政治家にはなれなかっただろう」と、エポカ紙とのインタビューで答えた。定期検診をいやがり、奥さんにけしかけられる同長官は二十四キロやせた体重を少しずつ増やすため日々戦っている。
ガン回復後の生活は医学も大きく変化させた。現在はすでにガンの治癒だけでは十分でなく、手術後に残る傷跡を小さくし、後遺症を和らげる必要があるという。
「以前、医者はなんとしてでも患者を救うことが重要だった。患者が生存できるとわかった現在、例えば切除手術をできるだけ避けるなど、後に影響する治療の功罪を評価しなければならない」とサンパウロ市ガン病院小児科部長のカマルゴ医師は話す。七〇年代に小児ガン治療の最先端を行っていた同病院の治癒率は一〇%だったが、現在は七三%に上がり、四人に三人の子どもが大人になっている。
髪の毛や体毛がすべて抜け、切除まで必要なこともある、日々痛みをもたらす肉体を持ちつつ、死の恐怖と寝起きする生活にガン患者は戦いを挑む。そして、ガンを克服した人々は死と向き合った時間を振り返ることを余儀なくされる。彼らは「明日の生活」を否定する。普通の人は「夢やロマンは明日にある。幸せもそう。今日過ごしたつまらない生活は今日で終わるはずだ」と考える。しかしガン患者は次の日が死ぬ日になりうると考える。生き残った人たちの最大の教訓は「ただ生き残ったのではない」ことだ。「自分たちは今生きている。それで十分だ」。