10月1日(水)
今月二日から十二日までの十日間、サンパウロ州各地のSESCで「舞踏の軌跡」公演が開かれた。ブラジルのみならず日本、ドイツから第一線の舞踏家が参加したこの踊りの祭典は、ブラジルの身体芸術分野に大きな貢献のあった楠野隆夫(一九四五―二〇〇一)を追悼する企画でもあった。「舞踏」とは何か―その現況を探りつつ記念すべき内容を二回にわたってリポートする。
日本ではマイナー、でも世界ではメジャー。そんな芸術のひとつに「舞踏」がある。
しかし、「マンガ」などと同よう、世界共通語となった現実を前にも、その実像はおろか輪郭さえつかみ難い、というのが正直なところだ。
こうした中、ブラジルでその発展の足跡を辿る機会が持たれた意義は次のような点にあると思われた。
端的に言って「西欧の普遍」に対するアンチテーゼとして始まった「舞踏」が、植民地主義や奴隷制から発展してきた独特の文化を有す、この国で顧みられたことがまず一点。
さらに、現在ドイツを拠点に活躍するブラジル人ダンサー、イズマエル・イヴォが、その出世作になった楠野演出の「にわとり」を二十三年振りに再演し、自身の踊りの原点を振り返る機会を得たことだ。
イベント開幕直前の報道で、二年後のベネチア・ビエンナーレ(世界最大規模の国際美術展)から新設されるダンス部門のキューレーター(管理責任者)にイヴォが抜擢される見通しが語られたことは偶然にしては出来過ぎていた。
ブラジルに「舞踏」を含む日本の身体芸術観・技法を伝えた楠野の元で実績を積み、いまや現代ダンス界の頂点に上り詰めたイヴォをここに見るとは畢竟、「舞踏」の軌跡のみならずダンス一般の現況確認に繋がることを意味した。
そうした観点で捕らえれば、今企画は一見回顧的な雰囲気を装いながら、温故知新に満ちたイベントでもあった、と言って間違いなさそうだ。
◇
三周忌を迎える楠野がいまもブラジルの身体芸術分野にあって輝きを放つには理由がある。自身黒人であるイヴォが記者会見で指摘していたが、「その仕事は常に『ブラジル人』とともにあった」という事実だ。
白人、黒人、混血、インディオ、日系人……。さまざまなルーツを持つブラジル人ダンサーの身体に特有の可能性を引き出すことがその演出の基本にあった。
オープニングを飾った「アリクイの目」はそんな楠野の姿勢が色濃く反映された作品と言える。「ブラジルにおける文化混淆という現実が強く打ち出されている」とフォーリャ紙のダンス批評家イネス・ボゲアは書いた。
イヴォが会見で楠野を、「オズワルド・デ・アンドラーデが掲げたブラジルの文化形成モデル『アントロポファギア』(人食い主義=雑多な民族文化を摂取することで別の違う文化を産み出すこと)の体言者であった」と評したのは、弟子の側からの示唆に富んだ発言だった。
◇
一方、人間の実存的な意味を探った「にわとり」は楠野が好んだ言い回しを借りれば「テアトロ・ド・モヴィメント」、演劇性の強い作品だ。同じく今回公演された遺作「白昼夢・天使が飛んでゆく」もそう。極限状況にある人間のあやうさ、力強さ、夢―などを次々と見る側の心に問いかける。
二十年以上滞在するドイツから参加した佐々木満によれば、そうした手法は「戦前の表現主義ダンス以降、踊りを通じて人間存在や社会にコミットしていくスタイルはドイツのお家芸」でもある。自らは「ルビカォン」で、山一証券が倒産した時代下の日本人の身振りを演じ、世相に切り込んでみせた。
「即興の踊りを主軸にするもの」と「演出を重視したもの」。「舞踏」には二つのタイプがある、と佐々木。「ただ、楠野さんの視野は永劫的。長い時間を見ている。自分はいま生きている場所の力を借りた表現というか」。そう違いを対比する。
同じ国を拠点に活動するイヴォについては、「『舞踏』の非ロジックと欧州ダンスのロジックの両方を備えている」と持ち上げた。
こう考えてくると、楠野が人種文化の実験場ブラジルで、その生を賭して追い求め続けたものとは、「舞踏」を見直す新たな視線―西洋と東洋の相克を乗り越えた人間普遍の表現―であったと思えるのだ。 (小林大祐記者)