ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | アマゾンに巨大集落遺構=伯・米研究者が共同調査

アマゾンに巨大集落遺構=伯・米研究者が共同調査

10月7日(火)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙】マット・グロッソ州北東部のシングー・インジオ保護区で、ブラジル人と米国人の研究者二人が十三世紀から十七世紀にかけて原住民が居住していたとされる集落の遺構を調査した。
 「多くの人がアマゾンは人が手を付けていない未開の原生林だと考えるが、実はそうではない。多くの場所が自然と人間活動の融合していた証しを示している」とリオ連邦総合大学国立博物館の考古学者、フルタード氏は述べた。
 調査チームはシングー川上流の、現在はインジオのクイークロ族が生活する四百キロ平方メートルの領域に広がる、十九の集落遺構を地図にまとめた。フロリダ大学の考古学者、ヘッケンバーガー氏によると、同遺構は遅くとも九世紀以降には存在した痕跡が残っているという。
 同集落は十四世紀から、ヨーロッパ人が新世界に到着した十六世紀にかけて全盛期を迎えた。当時の集落の多くは現在の十倍の大きさである、五〇ヘクタール以上の面積を有し、二千から三千人がそこに居住していた。
 集落の形態は現在のものと似通っていたが、集落の中央の広場が現在より大きく、それを住居が何重にも取り巻いていた(現在は一重)。ある集落は壕で囲まれていた。集落の周囲では果樹栽培や農業が行われることが普通で、主な食料はマンジョッカと魚だったという。
 集落から放射状に道が伸びていたことは、各集落は独立していたが、共同で仕事をし、生活を営んでいたことをうかがわせる。ヘッケンバーガー氏は住民が工学、数学、天文学の知識を有していたことを証明する、高度な建設技術に注目している。初期の定住者はカリーベ、トゥピー語に加え、アルアケ語も話していたと推定されている。
 これらの集落はその後どうなったのか? 住民のほとんどはヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病、特に天然痘によって絶滅した。生き残った人間は他の部族とともに小規模の集落を築き、現在に至っている。