10月9日(木)
三日(金)午後九時からニッケイパラセ・ホテルで、サンパウロ州日系市長会主催のエウリッコ・デ・フレイタス名古屋総領事(大使格)を囲む晩餐会が行われた。その場で、来年早々に教育・健康の二分野で活動するNPO団体Associacao Pro-dekassegui(デカセギ援護協会)を発足させるとの発表があった。同総領事は九八年の就任以来、立て続けにブラジル人同胞援護策を打ち出している。
デカセギ援護協会は、日本人代表六人、ブラジル人代表六人から組織される予定。教育分野では、恵まれないブラジル人子弟二千人に、三百~四百ドルの奨学金を与える事業を計画、来年から実施したいと語った。
また健康分野では、病院で使う医療用語に特化した日本語講座を、専門家らの協力で開設するとの計画を明らかにした。
フレイタス総領事は「基金創設のため、ブラジル企業、日本企業の理解と協力を強くお願いしたい」と呼びかけた。
愛知、静岡などの日本最大のブラジル人密集地域を管轄する同総領事館の業務は過酷だ。フレイタス総領事が赴任した九八年一月四日、同館前には二千人が列を作っていたそう。同年のパスポート等の書類処理件数は三万四千件だったが、同じ職員数で現在は七万二千件をこなしている。「セルビッソ・ラピド」(即応サービス)を設け、書類を即日発行で対応する部署も設けた。
すでにセルジオ・ブランコ氏らの発案により「電話健康相談」を設置、ブラジル人医師がボランティアで一日平均十五件の無料相談を受けている。経費はヴァリグ航空が支援している。
また、領事業務一日出張サービスも行う。経費の年間二万ドルは、外務省ではなく、日系輸出入会社「マチダ商会」が自主的に負担。今年だけですでに八回実施し、一日平均千人近いブラジル人に対応している。
フジナガさんにリオ・ブランコ章
ブラジルにも支援団体創設
サンパウロ州日系市長会主催の同晩餐会では、静岡県浜松市のデカセギの草分け、リンコン・フジナガさんへのリオ・ブランコ章伝達が行われた。八八年に渡日、九四年にブラジル人支援団体JABRA(ブラジル日本協会)を創立し、無料で各種相談や書類代行を行ってきた功績を評価された。
フレイタス総領事は「我が館のブラジル人援護活動へ指針を与えてくれたのは、ここにいるリンコンだ」とその活動を評した。フジナガさんはすでに団体代表を後継者に譲り、一年半前からブラジル在住。
受章し感無量になったフジナガさんは、あふれ出る涙を抑えながら返礼演説。
「浜松市役所のブラジル人への対応は、九八年からがらりと変わった。それまでは大臣クラスが行っても、市長は三分間しか会ってくれなかった。でもフレイタス総領事と野村丈吾元下議が訪問した時は、三十五分だった。それから全てが変わった」と語った。
注文をつけるだけの他のブラジル人政治家と異なり、野村元下議はまずデカセギ受け入れの返礼を言い、日系社会の歴史をこんこんと説明したそう。「それを聞いた市長は驚いて、以来、我々に対する態度が変わった。全てはそこから始まった」と熱く語った。
当時、派遣会社は旅費返済が終わるまで、デカセギのパスポートを強制的に預かるのが普通だった。相談窓口を通して、パスポートがなければ日常生活に困る実態を聞いていたフジナガさんは総領事に訴えた。
フレイタス総領事は即時に行動に移り、いくつもの派遣会社にフジナガさんと共に赴き、直接辞めるように訴えて回った。以来、その行為は減ったという。
フジナガさんは今年末を目標に、デカセギ問題を解決するためのブラジル側NPO団体Instituto Nikkei de Intercambio Brasil-Japao(日伯交流日系協会)をたちあげたいと発表した。訪日前の日本事情説明会や帰国後の問題相談などをボランティアでするもの。
上野アントニオ元下議、野村丈吾元下議や、列席した日系市長ら五十人は、大きな拍手でその挨拶に応えた。