最近、フィリピンの第二の町ダバオの日系人たちが移民百年を祝ったことを知って、激動した戦中、戦後を、五年後に百年を迎えるブラジルのそれと、つい比較してしまった。背景は全く異なっていたのだが…▼ダバオへの移民は、笠戸丸より五年早い一九〇三年に始まっている。第一次世界大戦後の麻需要増加で移住に拍車がかかり、在留邦人は一時二万人に達した▼第二次大戦で日本軍が進駐、米軍の上陸と日本の敗戦を経て日本人社会は崩壊した。日本人とフィリピン人が平和に暮らしていた社会を軍が叩き潰して逃げた、とされる。日本人と子孫たちは差別される立場になり、名前を現地名に変えたりした▼米国と異なり、戦中でなく、戦後に収容所の入れられた人もいる。あろうことか、一世の身元を特定できないケースが未だにあるという。証拠となる書類や写真が日本人社会崩壊とともに失われたからだ▼ブラジルの場合、海岸地帯での強制立ち退き命令、資産凍結、集会禁止などはあった。だが、治安を乱したというのでない限り、収容所送りにはならなかった。情報が足りなくて起きた不祥事はあっても、軍が叩き潰したという目には遇っていない▼戦前、三〇年代の後半から四〇年代始めにかけて、ブラジル日系社会には「アジア人はアジアに帰ろう!」(一邦字新聞の閉刊の言葉)という論調があった。アジアは日本ではあるまい。ダバオだったりしたら、生活が根こそぎひっくり返った可能性もあったかと思う。(神)
03/10/10